「僕が東京に戻って3カ月後に母は亡くなりました」

――自分の生活を犠牲にしてまで、助ける気持ちになれなかった。

白井 母が精神的に僕を頼っているのはわかっていました。でも30年ちかく「あなたは健常者だから一人で頑張りなさい」という育て方をしてきたのに、自分が病気になった途端に頼られても納得できませんでした。

「家族だから助け合うべき」と思う人もいると思うんですが、自分が助けてもらった感覚がないのに、自分を犠牲にしてまで母を助ける義理はないと思って。

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 結果的に、当初取った3カ月の休みが終わるタイミングで東京へ戻りました。実家を離れるときは、家族に関わるのはこれで最後にしようという決意を固めていました。

 

――東京へ戻った後に、実家との関わりは?

白井 復帰後も母から電話がかかってくることはあったのですが、一切取りませんでした。母がもう長くないことはわかっていたんですが、「自分はもう実家とは関係ない」と割り切ることにして。僕が東京に戻って3カ月後に母は亡くなりました。

――その後、実家とは。

白井 母の遺産の整理が終わってから、父とは全く連絡をとらなくなりました。12歳下の弟とは今でも年に1回くらいは連絡をとっています。

 仕事に戻る決断をするときも、当時高校生だった弟のことは最後まで気がかりでした。でも自分が親代わりをできるわけではないし、あのタイミングで仕事より実家を優先してしまったら自分の人生が崩れてしまうと思って。覚悟を決めて選択するしかなかったです。

 

――将来的なお兄さんの世話に関してはどう考えていますか?

白井 父も高齢ですが、「親亡き後」問題は自分が考えることではないと思っています。もう兄とは何年も顔を合わせていないですし。

 もし兄の施設や行政から連絡が来ても、兄弟姉妹には強い扶養義務はないので、「兄を扶養する生活の余裕はありません」と言うだけです。

 もちろん障害のある兄弟姉妹を助けたいと思える人はそれでいいのですが、僕はとてもそう思えませんでした。