障害や病気のある兄弟姉妹がいる子どものことを「きょうだい児」という。白井俊行さん(41)は、4歳年上の兄が高熱の後遺症で難治性てんかんと知的障害を負い、学校でイジメられる姿を見ていた。さらに兄が突然オナニーを始めてしまうなど家がまったく快適な空間ではなくなってしまった。

 障害者の家族につきまとう「支え合う」という美談のイメージにも白井さんは苦しめられたという。白井さんの父親は兄に暴力をふるうことがあり、母親は泣きながら介助をしていた。そんな中で、健常者の白井さんは気にかけられることもなく、不登校気味のときでも無理やり登校させられていた。その苛烈な家庭環境について話を聞いた。(全3回の2回目/最初から読む

©文藝春秋 撮影・橋本篤

――ご両親はどんな雰囲気だったのでしょうか。

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白井 兄の障害以前から、夫婦仲は悪かったと思います。両親とも教師で共働きなのに、父が全然家事をしない人で。それを理由に衝突していて、よく怒鳴り声も聞こえていました。

――お兄さんの介助が必要になっても、お父さんは何もしなかった?

白井 そうですね。兄の世話をしていたのは主に母で、母が仕事に出ている時は一緒に暮らしていた父方の祖母が面倒を見ていました。

 祖母は「男は家のことは何もしなくていい。指示を出す立場」という男尊女卑的な考え方の人でした。その祖母に育てられた父も、家庭内では自分が一番偉くて、家事をしないことが正解だと本気で思っていました。僕が家事や介助を手伝わされなかったのも、その影響だと思います。

 母はその状態に不満を持っていましたが、兄の世話は祖母がいないと回らないので強く言えなかったようです。

兄が失禁しても父はそのまま食事を続け、暴力をふるうことも…

――食事中にてんかんの発作が起きて、目の前でお皿がひっくり返ったり失禁したりという緊急状況でもお父さんは動かないんですか。

白井 それでも「我関せず」といった感じでしたね。母と祖母が慌てて対応していても、父はそのまま食事を続けたりしていました。介助をしないどころか、兄が中学生の頃には父が兄に暴力をふるっていた時期もありました。

 

――なぜ暴力をふるったのでしょう。

白井 横で見ていても、叩く理由はよくわかりませんでした。日頃から兄が父の言うことを聞かないことはありましたが、特に具体的に何かを注意するわけでもなく、無言で無慈悲に何度も背中を強く叩いていたんです。

 何か父の気に入らないことがあったのだと思います。母も口で「止めて」というくらいが精一杯でした。