――叩かれるとお兄さんはどう反応するんですか。
白井 最初は「叩くなよ」と言い返して抵抗したんですが、それで暴力がヒートアップしたので、それ以降は無抵抗で叩かれていました。その間ずっと「ひーん」と助けを求めるような声を出していて、それを聞くのがとても嫌でした。
――白井さん自身はどういう思いでその修羅場を見ていたのですか?
白井 実は当時は、兄がかわいそうというよりも「父の言うことを聞かない兄が悪いから叩かれても仕方がない」と思っていました。
家庭内では父親が「一番偉い人」だったので、父の言うこと、やることが正しいんだと思っていて、自分の視点も父親に寄っていたんだと思います。
ただ大人になってから「面前DV」という言葉を知って、叩かれている兄を見ていたことが、自分の性格にかなりネガティブな影響があったんじゃないかと。
「お兄ちゃんは大人になってもずっと私のもの!」
――一方、お母さんはお兄さんを献身的に介助していた。
白井 母は兄のことを溺愛していて、よく「お兄ちゃんは大人になってもずっと私のもの!」と言っていました。
ただそんな母でも、兄が思い通りに動かない時は叩くこともあったんです。てんかんの薬を兄がまったく飲み込まず1時間くらい口に含み続けているときに、母が泣きながら叩いている姿も見ました。でもあまりに日常の風景だったので、それを見ても当時は感情が動かなくなっていました。
――そんな状況だと、困ったことがあっても親に相談したりすることは難しい?
白井 小学生の頃から家族との会話は、基本的に「学校でこれが必要だから」といった事務連絡のみでした。「○○くんと遊んだ」「困っていることがある」といった話は一切しなかったですね。今振り返るとネグレクトというか、親を頼らないことが当たり前になっていて、自分から親を拒否するような感覚がありました。
小学校高学年から中学校にかけて、学校に行きたくない時期が続いたのですが、母は許してくれず、無理やり「学校に行きなさい」と引っ張り出されていました。

