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連載NHK大河ドラマ「真田丸」の舞台 真田氏ゆかりの地をめぐる

第6回【上田城その2】上田市民から数百年にも渡って愛され続けてきた名城

『真田三代』 (火坂雅志 著)

2016/02/06

genre : エンタメ, 読書

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上田城は天正13年(1585)、真田信繁(幸村)の父・昌幸がその智略の限りを注ぎ込んで築城し、2度にわたって攻めてきた徳川の大軍を退けた名城。2007年放送のBS熱中夜話「お城ファンが選んだ 好きな城ベスト10」では、姫路城(2位)大阪城(3位)を抑えて1位に選ばれている。上田城の概要と成り立ちはこの連載の第1回で述べたので、今回は上田城内の見どころについて紹介していこう。

真田石

ひときわ大きな石が真田石

 東虎口櫓門の北櫓(向かって右側)の石垣には「真田石」と呼ばれるひときわ大きな石が埋められている。この石には「真田信之が松代に移封を命じられた際に父昌幸の形見としてもっていこうとしたが、微動だにしなかった」という言い伝えがあるが、もちろん史実ではない。なぜなら関ヶ原の戦いの後、上田城は徳川の手によって徹底的に破却され、真田氏に代わって上田城主となった仙石氏によって復興されているからだ。つまりこの石垣は仙石氏が組んだものなので、「真田信之が父の形見としてもっていこうとした」わけはないのである。真田氏に対する民衆の思い入れが非常に強かったことからこのような伝承が生まれたのだろう。これもいかに真田氏が民衆から慕われていたかがわかるエピソードだ。

 ちなみに、寛永3年(1626)に仙石氏によって修復された上田城は真田氏時代の縄張りを受継いだとみられ、仙石氏の後に城主となった松平氏の代になっても、その姿にほとんど変化はなかった。

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真田神社

東虎口櫓門をくぐって直進してすぐの本丸跡に建てられた真田神社

 明治維新後、廃藩置県により明治7年(1874)に上田城は民間に払い下げられ、再び廃城となった。この際、地元の名士・丸山平八郎氏は本丸付近の土地を一括購入したが、後に寄付。そのおかげで明治22年(1889)、地元住民らの手によって、真田神社が建てられた。真田幸綱(幸隆)・昌幸・信幸(信之)・信繁(幸村)の真田三代をはじめ、仙石・松平の歴代上田藩主が祀られている。

本殿正面には「真田幸村公」と彫られた大きな木製の看板が
真田のシンボルの巨大な赤備え・鹿角の兜のオブジェも