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桐野夏生による連合赤軍事件の新しい解釈

笠井潔が『夜の谷を行く』を読む

2017/05/16
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『夜の谷を行く』(桐野夏生 著)

 桐野夏生の新作『夜の谷を行く』は、連合赤軍事件にかかわった一人の女の死と再生の物語だ。

 連合赤軍の一員だった西田啓子は、山岳アジトから逃亡中に逮捕される。その後、死体遺棄などの罪で有罪判決を受け、五年あまり服役した。娘の「犯罪」をめぐる心労で両親は早くに病死、一人娘を抱えて妹は離婚を強いられた。出獄後の啓子は経歴を隠し、社会の片隅で息をひそめて暮らしてきた。

 しかし、連合赤軍指導者の永田洋子が獄中で病死し、日本列島が巨大地震と巨大津波に襲われた二〇一一年の冬から夏にかけて、記憶の底深く埋めていた昔の出来事が甦りはじめる。かつて体験された禍々しい出来事は、啓子の嫌悪の対象だった蜘蛛のメタファーに重ねられる。

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 結婚を控えた姪の存在が、断ち切ろうとしてきた過去を否応なく突きつける。結婚式の招待を断るため、それまで秘密にしていた過去を姪に告白した啓子は、血縁という最後の他者との絆までを失ってしまう。

 作品の前半では、秘密を抱えながら生きてきた女の日常が、淡々と描かれていく。片隅で人目につかないように、ひたすら地味につつましく生きることは、刑務所での暮らしの延長のようだ。その生活は死者のようにひっそりしている。同志殺しの事件から四十年近く、いわば死者を偽装することで啓子は生き延びてきたともいえる。

 意図的に遠ざけてきた活動家時代の仲間と再会したのをきっかけに、自分自身にも隠し続け、無理にも忘れようと努めてきた出来事の意味を、しだいに啓子は自覚していく。

 年少の元女性同志は、永田が「女特有の嫉妬深さから大勢の同志を殺した、なんて嘘っぱち」だ、「本来は、女たちが子供を産んで、未来に繋げるための闘い、という崇高な理論だってあった」のに、「森が男の暴力革命に巻き込んでしまった」のだと語る。

 総括にかけられた妊娠中の女性同志を見殺しにして、「未来に繋げるための闘い」から逃亡した自分をどうしても赦せないという罪責感が、啓子に長い仮死状態をもたらしていた。

 このように本作では、連合赤軍事件をめぐる独自の解釈が、ヒロインの死と再生の物語として提示されている。過去に直面することを決意し、山岳アジト跡を訪れて蘇生のきっかけを掴む啓子に、世界が変わるほど決定的なサプライズが訪れる。この点の評価はさまざまであろうけれども、評者としては本作のハッピーエンディングを肯定したいと思う。

きりのなつお/1951年石川県生まれ。93年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞受賞。日本推理作家協会賞を受賞した『OUT』は後にエドガー賞候補に。『柔らかな頬』で直木賞受賞。『ナニカアル』で島清恋愛文学賞、読売文学賞を受賞。2015年、紫綬褒章受章。

かさいきよし/1948年東京都生まれ。作家。学生運動に関わるも後に思想的に離れパリへ。『吸血鬼と精神分析』ほか著書多数。

夜の谷を行く

桐野 夏生(著)

文藝春秋
2017年3月31日 発売

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