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ペットロスを人工知能が癒す日は来るか

2017/06/22
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「さくらはまだ帰ってこないの」

 ある休みの日、もうすぐ四歳になる三男がぽつりと「さくらはまだ帰ってこないの」と夕食時に言い出して場が凍った。すでに死という概念の備わっている次男は「死んだら、もう戻ってこないんだよ」という。食卓は、死についての重い議論へと発展した。十五分ほどの議論のあとで、長男がぽつりと本質的なことを言い出した。「このお肉って、牛さんだよね」。夫婦で顔を見合わせている間、長男は口をモグモグさせたまま続けた。「牛さんは死んでいいの?」

提供:山本一郎

 子育ては難しい。生命の大切さを知ってほしいと思うと、困ることが二つある。この「食べている生き物は殺して構わないが、金魚や猫はなぜ駄目なのか」と、もう一つは「僕たちはどうやって生まれてきたのか」である。ストレートに答えてよいものかどうか。皆さんご家庭でどうしているのか、ぜひ聞いてみたいテーマがこの二つである。

 一年ほど前に似たような議論になったときは「弱いものを慈しみましょう」という説明で、一度は兄弟が納得した。ところが、その後キャンプ学習で養鶏場や牧場にいき、狭いケージや檻で暮らしている鶏や豚や牛の姿を見てショックを受けて帰宅した後、やはり強い弱いだけでは説得できなくなってきたことが判明する。大事に育てているから死んでは困るのだというロジックだと、大事に育てていなければ殺していいのかという議論に発展しそうで駄目だ。

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 結果として、上野の国立科学博物館の展示であったような「食物連鎖」の仕組みを説明し、人間を含む生物には上下関係があり、食べたり食べられたりするのだ、人間の食べる食べないの食物連鎖の中には金魚や猫や犬はいないのだ、だから可愛がって大事にするのだという説明をして事なきを得た。年を経るごとに、子供たちは疑問に思ったことに通り一遍の回答では「ふーん」で終わらせてくれない。教える大人も知識と本気が試される。生き物を飼うということが、ここまで深淵なものであるとは私も思ってもいなかった。何しろ、この話題になると罪悪感を感じてどんな飯も不味くなり喉を通らなくなる。この私ですらだ。できれば空腹時か食後にしてほしい。

「生きてなければいいんだ!」

 その後、数日して。

提供:山本一郎

 長男が学校から帰宅するなり突然「生きてなければいいんだ!」と言い出した。最初、何のことだか全くわからなかった。長男は、たまに前置き無しにとんでもないことを言う。どうも学校で講話があり「生物を殺したり、傷つけたりしません」という内容を聞いて、思うことがあったようだが、それが最初は何を意味しているのか、家族のだれも分からなかった。

 それでも長男は自分の「宝物箱」と書かれた、ガラクタの詰まった戸棚をひっくり返して、以前東京ドームシティにある宇宙ミュージアムTeNQでもらってきたHAKUTOという月面にローバーを送り込むプロジェクトのパンフレットを熱心に見始めた。親として、また面倒くさい高い買い物に付き合わされるのかというリスク情報がよぎる瞬間である。