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J-WAVEにいた、“もう一人のショーンK”

「ショーンK」がデビューをしたJ-WAVEで、かつてもう一人、経歴を詐称した知識人が持ち上げられたことがある。それはトルコ人の自称宇宙飛行士、アニリール・セルカンだ。ぼくはある年の年末スペシャルで、その人物とマッチメイキングされた。当時のJ-WAVEの編成局長はセルカンに惚れ込んでいた。セルカンが提唱する「宇宙エレベーター」構想や、静止軌道上から地球の諸問題を解決するという壮大な、壮大過ぎるヴィジョンに心酔していたのだ。共演したスタジオで、印刷されたプロフィールが渡された。そこには東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助教、プリンストン大学数学部講師、ケンブリッジ大学物理賞、NASAジョンソンスペースセンターを含む華々しい肩書が並んでいた。あれほど卒業が難しく、競争が熾烈だったハーバードに匹敵する世界の名門校やNASAでさまざまなポストを歴任し、あるいは受賞。それのみか冬季オリンピックにまで出場したとするセルカンの経歴に、この世のものならぬものを感じた。

 だがインタビュー中、セルカンは具体的な話をことごとくそらし続けた。英語はまあまあ流暢だったが、科学者の語り口ではなかった。何かが匂った。後にネットの有志によってじわり、じわりとセルカンが論文盗用、経歴詐称、人物詐称をし、その偽りの肩書で講演会を開き、暴利を貪っていた実態が露呈する。詐称の暴露と同時にセルカンは日本から姿を消した。J-WAVEの上層部はセルカンを持ち上げた「黒歴史」をなんと思っているのだろう? その後「ショーンK」に長年に渡り、一杯食わされたところを見ると、おそらく何も学んでいない。幕引きだけは上手になったが。

 正真正銘の「外タレ=外国人タレント」は日本に留学などを通じて滞在し、そこそこの日本語スキルを持っている。まあまあ流暢と呼べる程度が平均値であり、真性のバイリンガルはほとんどいない。星の数ほどいる「外タレ」たちの片言の日本語を耳にすると、痛々しい。ぼくは東大を日本語で受験し、ハーバードも正規で受験して合格した。日本語、英語ともに骨身を砕いて、生身で磨き続けてきた。日本語がなんとか話せる「外タレ」と並べられると、得も言われぬ屈辱を感じる。外交でも経済でもいい。よほどの専門家なら片言の日本語を乗り越えてでも傾聴に値するだろう。だが「外タレ」の価値は

「外国人が日本語を話すところを見たい」

 という原始的な要求に答えるものにとどまっている。言わば、見世物だ。

ハーフ・タレントは都合のいい存在

 さて、「外タレ」が見世物的な欲求を満たすものだとしたら、ハーフ・タレントはその改良型と言える。「外タレ」のぎごちなさを抜き取り、容貌は欧米風味だが中身はそっくり日本人だからだ。業界からすると視聴率が稼げて、しかも使いやすい。ハーフ・タレントはたまにそれっぽい英語を発音して、あとは流暢な日本語で語ってくれる。テレビ局にも視聴者にも都合がいい存在なのだ。

「そのどこがいけないの? だってハーフはきれいじゃないですか? ぼくらはそんな難しいことを考えてないんですよ。きれいでかっこいいからテレビで見たいだけなんですよ」

 という素朴な反論が聞こえてきそうなので、それにも答えよう。「ハーフはきれい」の後ろには、人種の序列が潜んでいる。あまり日本人との違いが引き立たない東洋系のハーフ・タレントは希少価値が認められない。在日コリアンのハーフはそもそも出自を隠すことも多い。アフリカ系アメリカ人の父と、日本人の母の間に生まれた宮本エリアナさんがミス・ユニバース日本代表に選ばれた時には、一部から心ない差別の言葉がぶつけられた。

 だが反対に白人のハーフやクォーターは、現場でとにかく求められる。さらにファッションモデルや下着モデルになると、この傾向が酷いぐらい露骨になる。なんなのか? ずばり、白人へのコンプレックスだ。白人の容貌だけではなく、白人という存在に対する日本人の劣等感。

「日本人はどんなにがんばっても白人の下の身分に生まれている。だが日本人はアジアの諸民族の長である」

 とする世界観である。これは160年ほど前に国をこじ開けられた当時、圧倒的にかなわない先進文明に出会って受けたトラウマが形を変えて存続しているのだと思う。言葉にならず、ディスカッションもされない「白人ハーフやクォーターはかわいい、きれい」の裏には「脱亜入欧」の負の遺産が潜んでいるのではないだろうか?