グローバル、人道主義……国連のイメージは洗練されて良好だが、現場はもっと骨太だ。災害や紛争に見舞われた地域に食糧を届ける「国連WFP」。その元アジア地域局長の忍足謙朗さんは、文化や道徳観の異なる相手と交渉し、被災者や難民へ必要な物資を届け続けた。池上彰さんとは在任中より交流があり、緊張の高まる北朝鮮情勢はじめ、国際社会の最前線をよく知る2人の話題は尽きない。食糧を必要とする極限での救済をいかに決断して実行するか、熱く語り合う。

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北朝鮮に同行できなかった池上さんの理由とは

池上 今回のご著書『国連で学んだ修羅場のリーダーシップ』で興味を惹かれたのは北朝鮮の写真です。以前、忍足さんに「一緒に北朝鮮に行きませんか?」と声をかけていただきましたよね。

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忍足 はい、僕は2001年から2014年にかけて10回ほど北朝鮮に視察に入っているんです。1994~95年に北朝鮮は自然災害で飢饉に見舞われました。そのときの餓死者は50万人とも100万人とも言われています。北朝鮮政府はやむなく国際支援を受け入れるようになり、WFPは平壌だけでなく、清津、恵山、咸興、元山、新義州などの地方都市にも拠点を置いていました。

2013年、北朝鮮の小学校で十歳の子供たちの教室。年齢にしては体格が小さい。©WFP/Kenro Oshidari

池上 北朝鮮の地方都市を訪れる機会はめったにないので、ぜひ行きたかったのですが……。

忍足 ジャーナリストはダメだと、北朝鮮政府から許可が下りなかったんですよね。

池上 実は2回、北朝鮮を訪問したことがあります。1回目は取材ビザを取得して、2回目は観光客として。北朝鮮のプロパガンダ用ポスターの写真を撮影したり、大量の切手を購入したりしました。

忍足 そう、外国人向けの土産物店で買えますよね。

池上 珍しいものでは、竹島(独島)の地図の切手などもありました。

 忍足さんの撮影された写真で、中国との国境にある川の両岸が中国側と北朝鮮側ではまったく違う風景なのが非常に印象的でした。

2004年、北朝鮮の地方都市・恵山と国境の川を挟んだ向こうにある中国の町。コンクリート造りの建物が並ぶ。©WFP/Kenro Oshidari
北朝鮮側にある恵山の町。山には木が見えず、町には煙突が立ち並んでいる 。©WFP/Kenro Oshidari

忍足 中国との国境にある恵山という地方都市ですが、よく見ると北朝鮮側には煙突がたくさんあって、食事時になると真っ黒な煙が立ちのぼる。台所の主な燃料が石炭なんです。北朝鮮の地方では、まだ石炭車が走っていますからね。一方の中国側は、内陸の地方都市とはいえ、近代的なコンクリートの建物が立ち並んでいます。

池上 北朝鮮に飢饉が起きる理由は、金日成が「農地を増やせ」という大号令のもと、木を全部伐ってしまい、はげ山が増えた。そこに大雨が降ると土砂崩れが起きるし、雨が降らなければ干ばつになるからと言われています。写真を見ても、その様子がうかがわれますね。

忍足 WFPが支援するきっかけになったのは大洪水の後に起きた飢饉ですが、そうした人為的な理由も影響しているでしょう。

池上 ソ連邦の崩壊により、北朝鮮への援助が止まったことも原因の一つと言われています。重油などの燃料が入ってこなくなり、工場の生産がストップしてしまった。肥料工場も稼働しなくなり、そのせいで農産物が激減したんです。

忍足 飢饉のあとの食糧支援で、栄養を強化したビスケットや子供用の栄養食を作る工場を国内5カ所に作っています。機材やビスケットの材料はすべて外国から運び込みました。その機械の操作やメンテナンスもWFPが指導し、今も稼働していると思います。 

WFPが北朝鮮に作ったビスケット工場。機材から技術指導まで支援した。©国連WFP