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ギレルモ・デル・トロ、プロデューサー業で意識したのは「自分が嫌だったと感じた行為をしないこと」

ギレルモ・デル・トロ(映画監督)――クローズアップ

2020/03/01
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『フランケンシュタイン』から日本の『鬼婆』『藪の中の黒猫』まで、オタク監督ギレルモ・デル・トロが人生で愛したホラー作品は、実に多い。1981年に出版された子供向けの『Scary Stories to Tell in the Dark』も、そのひとつだ。

ギレルモ・デル・トロ監督

「あの本を見つけたのは、テキサス州の書店。最初に僕の目を引いたのは、スティーブン・ガンメルによる、強烈に不気味な挿絵だった。あまりに気に入ったので、自分のためだけでなく、友達にも買ってあげたし、わが子に読んで聞かせたりもした」

 その原画が売りに出されたと聞くと、誰よりも先に購入した。当時は、父がメキシコで誘拐され、全財産をはたき、ジェームズ・キャメロンにも借金して身代金を払ったばかり。それどころではない状態で、妻との関係にヒビが入ったが、「僕にはあれが必要だったんだ」と振り返る。

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 そんな過去が知られていたからこそ、この本の映画化権を買った人たちは、まず彼に声をかけた。だが、多忙なデル・トロは、この映画『スケアリーストーリーズ 怖い本』(2月28日公開)ではプロデューサーにとどまると決め、監督には、以前からツイッターで交流のあったノルウェー人のアンドレ・ウーヴレダルを指名する。

「映画化権を買った人たちは僕に監督して欲しいと思っていたし、僕もそうしたかったよ。でも、それが無理なら、僕が理想とする人にお願いするのがいいと、意見が一致したんだ。アンドレは、最初に浮かんだだけでなく、唯一思いついた人。そして彼はすぐにやると言ってくれた」

 プロデューサーを務めるにあたって意識したのは、「自分が嫌だったと感じた行為をしないこと」。ハーベイ・ワインスタインがプロデュースした『ミミック』での体験は、とくに忘れられないという。

「あれは、最悪の思い出。いや、唯一の悪い体験だったと言うほうが正しいかな。僕はいつも、アンドレに、『僕のほうが太っているし年寄りだけど、決定権を持つのは君だからね』と言ったよ(笑)。ほかの人に彼のクリエイティブなビジョンを邪魔させないよう、守ることもしたつもり」

 そんな彼も、ことクリーチャーの制作となると、遠慮なくしゃしゃり出た。そこは、ハリウッドでの仕事歴が浅いウーヴレダルが最も手助けを必要としていた部分なのだ。ウーヴレダルがロケ地のトロントで撮影準備をしている間、デル・トロは、L.A.で、豊かな人脈と経験を活かしつつ最高の人材を選び、クリーチャー作りに励んだ。

「60%のアーティストはまあまあのクリーチャーを作れる。20%はもっと良いものを作れて、さらに20%はすごいものを作れる。だが、キャラクターを作れるのは、1%か2%しかいない。その限られた人たちは、モンスターに意図を与えられるんだよ。彼らが手がけたものを見ると、観客は、感情のある相手を見ているのだと思う。それができる人は、現役では20人くらいしかいないんだ」

 一昨年は、『シェイプ・オブ・ウォーター』で栄誉あるオスカーを受賞した。それでも、B級映画への愛と制作意欲は、まるで薄れていない。

「『1987年にオスカーを取った映画はどれだった?』『1990年は?』と急に聞かれて、君は思い出せるかな? それが現実。賞をいただけたのはすごく嬉しいが、現実において賞のもつ意味はその程度なのさ。同時に、映画は永遠に生き続けるものでもある。受賞時に生まれていなかった人だって、いつか見るかもしれない。そう考えると、すごく素敵だよね」

 映画史に名を残す『シェイプ・オブ~』同様、この娯楽ホラーもまた、将来にわたって人々に愛されていくのだ。

Guillermo Del Toro/メキシコ出身。2017年制作の『シェイプ・オブ・ウォーター』でベネチア国際映画祭金獅子賞、ゴールデングローブ賞監督賞、アカデミー賞では作品賞・監督賞を含む4部門受賞。2019年にハリウッド殿堂入り。

INFORMATION

映画『スケアリーストーリーズ 怖い本』
https://scarystories.jp/

ギレルモ・デル・トロ、プロデューサー業で意識したのは「自分が嫌だったと感じた行為をしないこと」

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