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自信のなさや心の傷が作品を描かせてくれた──山岸凉子が“最初で最後の”トークショーで語ったこと

2020/02/16

 2019年10月6日、北海道上砂川町。

 山岸凉子を生んだ人口3000人足らずの小さな町の体育センターは、全国から駆けつけた人々の熱気に包まれていた。

『日出処の天子』『舞姫 テレプシコーラ』『アラベスク』……「漫画」の概念を変えた名作を世に出し、普段人前に姿を現さないデビュー50周年の天才が初めて引き受けたトークショー。

「私の作品は、すべて、子どもの頃の自信のなさとか、心の傷が描かせてくれた気がするのです──」

 自らの幼少期、創作の原点を語り尽くし、感動を呼んだ「奇蹟の70分」が2月5日発売の『自選作品集 ハトシェプスト 古代エジプト唯一人の女ファラオ』(文春文庫)に完全載録される。SNSでも「神降臨!」と話題になった“最初で最後の”トークショーの一部を特別公開する。聞き手はライターの瀧晴巳さん。

 

自選作品集 ハトシェプスト 古代エジプト唯一人の女ファラオ』(文春文庫)

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両親は上砂川町の出身

山岸 皆さま、初めまして。山岸凉子です。まずは上砂川町の皆さま、上砂川120年、開町70年、おめでとうございます。それから遠くから来てくださった皆さま、本当にありがとうございます。正直、こんなにたくさんの方が来てくださるとは想像していなかったので緊張しています。トークショーも初めてなので、どの程度まで話せるか心配なんですけれども、皆さまに楽しんでいただけるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 初めまして。本日の司会を務めさせていただきます、ライターの瀧です。山岸先生とは95年に初めてインタビューでお会いして以来、さまざまなお仕事をご一緒させていただきましたが、こうして登壇されてお話しになるというのは、私も記憶にないですし、おそらく最初で最後の大変貴重な機会になるのではないかと思います。先生は、どうして今回お引き受けになろうと思われたのでしょう。

山岸 だいぶ前の話になるのですが、倉本聰さんが脚本を書かれた『昨日、悲別で』というドラマがありまして、上砂川町で撮影をされたんですね。そのあと、上砂川町の方から「町の名前を上砂川から悲別に変えるという話があるのですが、どう思いますか」というアンケートが来たのです。その時に、私は「悲しく別れる町なんて嫌だ」とお返事してしまったんですけれども、上砂川町の方たちは町おこしのために、町の活性化を図りたいと考えて、ご相談してくださったと思うのに、なんのお役にも立てなかったことがとても気になっていたものですから。今回このお話をいただいた時に、私でお役に立てるのなら、いい機会ではないかと思って、お引き受けしようと思いました。

昭和25年当時の上砂川町市街図 線路の近く、中央右寄りに「ヱーレン湯」「山岸」の文字が見える 資料提供・上砂川町

 もともと先生のご両親が上砂川町のご出身だったんですよね。お父様は、三井鉱山にお勤めだったとか。

山岸 そうなんです。私は2、3歳までしかいなかったので、その頃の記憶はあまりないのですけれど、母方の伯母・叔父がいたものですから、小学校3年生くらいからは、毎年夏休みに上砂川町に来ていました。