文春オンライン
自信のなさや心の傷が作品を描かせてくれた──山岸凉子が“最初で最後の”トークショーで語ったこと

自信のなさや心の傷が作品を描かせてくれた──山岸凉子が“最初で最後の”トークショーで語ったこと

2020/02/16
note

作品はすべて自信のなさとか、心の傷が描かせてくれた

 ごきょうだいでいうと、お兄さんから影響を受けたこともありますか。

山岸 兄は、3人きょうだいの長男で、漫画の本も先に手に入れていましたので、私は兄の買っていた少年漫画の本で、漫画というものを最初に知りました。兄は漫画を描くのも好きで、ちゃちゃっと紙に描いてみせて、それがものすごく可愛かったりしたので、私はそれをチョキチョキと切って、筆箱に入れて持って歩いていたりもしましたね。

 妹さんにせがまれて、寝る前にお話をつくって聞かせてあげていたのもその頃ですか。

ADVERTISEMENT

山岸 小学校1、2年の頃ですね。妹が覚えているかどうかわからないのですが、寝る前に「何かお話を聞かせて」と言うのです。私はその頃からつくり話が大好きだったものですから、当時愛読していた『少年ケニヤ』、あの主人公が非常に好きでしたので、勝手に彼を主人公にしたつくり話を毎晩寝る前に話していたのを覚えています。

 今でいう二次創作ですね(笑)。絵本を読んであげるんじゃなくて、即興でお話をつくっていたというのがいいですね。絵を描くのも、その頃から好きだったんですか。

山岸 誕生日のプレゼントは、必ず画用紙で、とお願いしていました。と言っても、その頃は、ひたすらお人形さんを描いていただけなのですが。嬉しかったのは、小学校の担任の先生が絵の先生で、私のつたない絵をすごく褒めてくださったんですね。もうひとつ、その先生に感謝していることがあって、小学校の1年生の時にディズニーの『ファンタジア』という映画が来たのですが、クラス全員を連れていってくれたのです。クラシック音楽に合わせて絵をつけたアニメーションなので、正直、小学校1年生が観るにはちょっと敷居が高い、退屈な映画かもしれないのですが、私は本当にもう釘づけになってしまいました。友達は退屈して通路を走り回ったりしていたのですが、私はあの映画が自分の原点じゃないかと思うくらい感銘を受けたので、あの時の担任の先生には本当に感謝しています。

©iStock.com

 子どもの頃の山岸先生にとって、本当に大切な出会いだったんですね。

山岸 そうですね。「褒めてくれる」というのは、自分のことを「認めてくれる」ということですから、それで私も少し自信が持てたんだと思います。ある時、その先生が教壇に立って「誰かお話でもしてくれないかな」と言ったんです。いつも褒めてくれる先生だから、自分が言われたような気がしたんですね。そういうところが自意識過剰だと思うのですが、それで「はい」と手をあげて、その場で考えて、継母にいじめられる女の子の話をしたんです。これは何かオチをつけなければいけないと思って「女の子はしくしくと泣きました。すると、その涙の一粒一粒がすべて宝石になったのです」としめくくりました。

 傷ついた心がいつか宝石に変わるというのは、のちの山岸作品の原型がすでにそこにあるような気がしてきます。

山岸 自分では意識していなかったのですが、自分の気の弱さというのは、何かしらそういう母の記憶とか世間に対する女性としての自信のなさに繋がっていて、正直、私の作品はすべて、その時の気持ちとか傷が描かせてくれたと言いますか、その意味では、プラスマイナスゼロになったなと思っています。