瀧 ご親戚は、市役所の近くで、銭湯をやっていらっしゃったんですよね。
山岸 ヱーレン湯という銭湯をやっていました。途中で五月湯と名前が変わったりもしたようです。普通の人は、銭湯の建物がどんなふうになっているか、ちょっとわからないかもしれませんね。外観は普通の銭湯と変わらないのですが、2階にあがる階段を跳ね上げ式にしていて、天井にパンッとあげてしまうんです。私は、その頃からそういうからくりが大好きでしたから、階段をあげたりさげたりするのをワクワクしながら見ていました。
新しい浴衣より怪談がうらやましかった
瀧 『日出処の天子』に出てくる玉虫厨子のエピソードを思い出しました。子どもの頃からからくりがお好きだったんですね。映画館にもよくいらっしゃったそうですね。
山岸 当時は、まだ炭鉱が盛んな頃でしたから、映画館もとても賑わっていて、母に連れられて、いろんな映画を観ました。特に記憶に残っているのはフェデリコ・フェリーニの『道』という作品です。なんであの旅芸人の男の人が最後に泣くのか、子どもですから心の機微まではわからないのですけれども、本当に悲しくて、ニーノ・ロータの名曲とあわせて、鮮烈な印象が残っています。
映画館と言えば、もうひとつ、忘れられない話があって、めずらしく伯母たちが小樽の私たちの家に来たことがありまして、このまま帰るのも寂しいからって、妹を連れて戻ったんです。妹は上砂川で叔母たちに大歓迎されて、ひと晩で浴衣を縫ってもらったりしたのですが、それはまあ、私は「ふーん」という感じで聞いていたんですね。
ところが、なんと、映画館で『亡霊怪猫屋敷』を観たと言うのです。佐賀藩のあの有名な化け猫騒動を描いた映画で「行燈の油をなめるんだけど、その影が猫なのよ。あまりに怖くて夜、眠れなかった」とすごく悲しそうに言うのを聞いて「ええっ、怪談? それを観るなら、私でしょ」と、うらやましく思ったのを覚えています。
瀧 浴衣よりも怪談映画の方がうらやましかったという(笑)。初めて漫画らしきものを描かれたのも、怖い映画を観たのがきっかけだったんですよね。
山岸 そうなんです。中学生の時に『顔のない眼』という映画を観て。これがまた、荒俣宏さんくらいしか知らないB級ホラー映画なのですが、どうしても級友たちに教えたくて、映画ですから絵がある方がわかりやすいだろうと、大学ノートに万年筆で一生懸命描いたのを、クラス中の人たちが机の後ろへ後ろへまわしながら読んでくれた。それが、私が漫画らしきものを描いた最初だったのかなと思います。