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自信のなさや心の傷が作品を描かせてくれた──山岸凉子が“最初で最後の”トークショーで語ったこと

自信のなさや心の傷が作品を描かせてくれた──山岸凉子が“最初で最後の”トークショーで語ったこと

2020/02/16
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大好きだったバレエも漫画も失って

 北海道で過ごした少女時代が、のちの作品とどう繋がっているのか。ここからさらに振り返っていきたいと思います。山岸先生の最初の代表作と言えば『アラベスク』。本格バレエ漫画の草分けと言える作品ですが、バレエも、北海道にいらした子どもの頃からやってらっしゃったんですよね。

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山岸 実は上砂川のあと、函館、小樽、札幌に引っ越しをしているのですが、函館にいた小学校1年生の頃、妹が通っていた幼稚園になぜかバレエ教室があって、本当はその幼稚園の生徒か卒園者でなければ通えないのですが、無理やり頼み込んで入れてもらったんです。それをきっかけにバレエを始めて、小樽に移ってからも、中学校にあがるくらいまで続けていました。それで自分は少しでもバレエを知っていると思って、のちに漫画家になってから『アラベスク』というバレエ漫画に手をつけたのですが、今になってみると、何も知らないからこそ、あんなふうに天才を描くことができたんじゃないかと。

 いや、でも逆にバレエをずっと続けていたら、あんなに凄いバレエ漫画を描くことはなかったんじゃないかとも思うんです。漫画も、読むのは小学生までと禁止されたんですよね。大好きだったものを途中で手放さざるをえなかったからこそ、それに対する強い思いが生まれたんじゃないかと。

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山岸 そうですね。漫画も、小学校を卒業したらやめるようにと言われていて、私もつらかったんですけれども、そういうものかと思って、そこで漫画は卒業しました。バレエに関しても、母に突然「やめてきたから」と言われて、子ども心にびっくりしたのを覚えています。何か理由があったんだと思うのですが、その時は受け入れるしかないような気がして、ふたつとも、好きなものを失ったというのはありますね。