人気イラストレーター・フジワラヨシトさんの初著書『コネ、スキル、貯金ナシから「好き」を仕事にするまでにやってきたこと』が刊行された。30歳で一念発起、無い無い尽くしからわずか1年足らずでプロイラストレーターになれた秘訣とは?

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フジワラヨシト氏、塩屋のアトリエにて

最短・最速で「稼ぐ」必要性から生まれた戦略

――初著書のベースになったnoteのコンテンツが大きな話題になりましたね。

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フジワラ 去年の5月に私のキャリアを振り返って、フリーランスとして食べていくために行ったマーケティング×ブランディング戦略をまとめてみたんです。私はいろいろな挫折を経験して、30歳からプロのイラストレーターを目指しましたから、家族を食べさせるために最短・最速で「稼ぐ」必要がありました。

 その切実な方法が共感を呼んだのか、キャリアチェンジを考える人や、クリエイターを中心に、SNSでたくさんの反響を得ることができました。

――20代の頃は1枚10円の似顔絵描きをやっていたんですよね?

フジワラ 芸大に通っていたものの学業に身が入らずに中退した私は、どうやったらイラストで食っていけるのか誰にも聞いたことがありませんでした。似顔絵は、手っ取り早くお金を稼げそうだったので、近所のアウトレットモールの近くの公園で始めてみたんです。

 1枚10円とはいうものの、似顔絵描きは、でき上がったものに満足してもらえたら100円か200円、ときには1000円渡してくれる人もいたので、日給だいたい8000円ぐらいにはなりましたね。

 でもこの中途半端に一応食べてはいける状態がすごく良くなかった。これがもう全然食えない金額だったらすぐ別の道を探ろうとするし、もう少し上の稼ぎだったら次の展開へと発展させられますから、一番微妙なラインです。

 当時は20代の前半だったこともあり、そんなズルズルとした日々を送っていたら、両親と喧嘩になったんですね。路上で少しお金を稼いではいるようだけど一体何やってるんだ、と。否定的な態度をとられるのが積もりに積もって耐えきれず、手持ちのお金は500円のみで、家を飛び出したんです。

全国を放浪、ホームレスのおじさんがくれたおにぎり

――ずいぶん思い切りましたね。

フジワラ ヒッチハイクしながら全国を放浪し、ゆく先々の商店街やちょっと歓楽街的なところで似顔絵を描いてはその日暮らしで糊口をしのぎました。夜の歓楽街に近い商店街とかで画材を広げていると、酔っ払いや物好きな方が「なに描いてるの?」って声をかけてくるんですね。「日本一周してます。似顔絵描きます!」って言うと、1枚頼んでくれたりする。

 いろんな街に行きましたが、とくに仙台の人たちは優しかったですね。都市なんだけど田舎の人情味みたいなのがあって、気にかけてくれました。

 逆に、稼ぎにくかったのが浜松(笑)。駅前の広場でやってても通勤・通学の方々は連日みんな素通り。あまりのひもじさをかわいそうに思われたのか、ホームレスのおじさんがおにぎりを恵んでくれました。忘れもしないツナマヨ味のおにぎり、すごく美味しかったですね。

――そんな極貧生活の日々もあったとは……。

 

フジワラ 若いからこそできることですよね。その後、友達の紹介でユニバーサル・スタジオ・ジャパンの一画で似顔絵を描くようになり、数年間で、8000人くらい描きました。

 大量に描いて画力が鍛えられたでしょう? なんて言われることもあるんですが、似顔絵はデフォルメして可愛く描くことを求められるので、むしろ変な手癖がついて下手になっちゃったんです。おかしいと思っても直す時間がないですし。

 似顔絵は私の求めている方向性と違ったこと、結婚して子どもを授かったこともあり、「もう絵はいいかな」と挫折したんです。家族を養わねばと、小さな酒販店に就職して営業をやるようになりました。