昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「カレーブームにどう乗っかるか問題」水野仁輔と小宮山雄飛のカレー談義 #1

「東京カリ~番長」あらため「カレースター」水野仁輔さんと、「音楽界のカレー王」ホフディランの小宮山雄飛さん。『いちばんおいしい家カレーをつくる』(水野さん)、『簡単! ヘルシー! まいにちカレー』(小宮山さん)と、それぞれ力のこもったカレー本を書き上げたふたりが、カレー遍歴から現在の注目店まで語り尽くした、すみからすみまでカレーの話第1回!

◆ ◆ ◆

インドを卒業した水野さんと、卒業できていない小宮山さん

水野 カレーの食べ歩き遍歴というと、小学校1年生の時、地元静岡の浜松にある「ボンベイ」っていうインドカレーのカレー屋さんに出会って、高校卒業まで通いました。その後上京して、いったん欧風カレーに行くんですね。

小宮山 水野君、欧風もとおったの?

「原体験はホテルのカレー」と小宮山さん

水野 とおった。神保町の「ボンディ」とか、ほんとうまいと思って。そのあと、日本人が作ったインドスタイルのジャパニーズカレーに軸足が移った。7~8年ぐらい前からインド料理にどっぷりハマって、実際にインドにも通って。最近はちょっとインドを卒業して、もう1回ジャパニーズカレーに戻ってきたところ。

小宮山 「インド卒業」。言ってみたいわ~、すごいな(笑)。

水野 小宮山君はどうなの? カレー食べ歩き遍歴は。

小宮山 僕は水野君と逆なんですよ。母がカレーを作らないからいわゆる「家カレー」というものに出会わなかった。出来合いのものを使いたくない、でもスパイスからは作れないから、カレーは外で食べようと。そうすると、ホテルで食べるカレーが原体験なんですよ。で、中学生の時初めて、高田馬場の「夢民」でスパイシーなカレーを食べて、うわぁ、ってなってから、あまり欧風には行ってないんです。水野君がカレーの道に入ったきっかけは、食べ歩きなの?

水野 いや、18年前の1999年に「東京カリ~番長」を結成してカレーのイベントを始めた時だね。それ以来、自分の立ち位置はずっと出張料理人でいろいろ作ってるけど、作った人や食べた人がカレーだと思えばそれはカレーだっていうのが、カレーの定義だと思う。

小宮山さん自作の「トマトとコーンのカレー」

小宮山 そうなるよね。うどんだったら小麦粉で細長くて、とかあるけど、カレーは最終的に「これはカレーです」って言えばカレーになる。

水野 そうなんですよ。例えば10人いたとして、僕がビーフシチューを作ってそれに大さじ2分の1のカレー粉を入れたら、1人か2人、「カレー風味のビーフシチューだね」って言う。で、大さじ1入れると、多分5人ぐらいが「これ、ビーフカレーじゃないの?」って言い始めて、大さじ2のカレー粉を入れたら、10人ともが「ビーフカレーだ」って言うんです。ビーフシチューとビーフカレーの違いは、カレー粉が大さじ何杯入ってるかだけという(笑)。

「カレーだと思えばカレーなんです」と水野さん

小宮山 そういう実験をしたんですか?

水野 昔やってた。でも最近は、カレーというものの垣根が、結構取っ払われているかもしれない。今、単品で食べたらまるでカレーじゃないものから、完全なるカレーのものまでを盛り合わせて、それらを混ぜて食べるスタイルが流行ってるけど、食べる人が「これはカレーなの? カレーじゃないの?」って、言わなくなった。

小宮山 確かに言わなくなったね。