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なぜ私たちは「一斉休校」を批判しながら「緊急事態宣言」を待ち望んでしまったのか

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欧米の強権的な宣言とはまったく違う

 では、知事たちが外出自粛の要請などに動く中、なぜ政府は緊急事態宣言の発令をここまで遅らせたのでしょうか。

「緊急事態宣言」という強い表現による、買い占め、区域や地域からの脱出などの予期し難いパニックの発生を懸念したのではないでしょうか。また、緊急事態宣言は現状においては、特措法上、政府として出来る「最後のカード」になるわけですから、できれば宣言せずに乗り切りたかったのかもしれません。政府対策本部が設置された時点で、かなりのことができるようになっていたわけですから。

 さらに野党やメディアなどから、「緊急事態宣言によって国民の主権が制限される」との強い懸念の声が挙がったことも大きかったかもしれません。いずれにせよ、結果的にはアメリカにおける国家緊急事態の宣言と比べても約1カ月遅れの宣言となりました。

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 諸外国と比べて注意すべきは、日本の場合はあくまでも、「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」という個別の法律にもとづいた枠組みの中での緊急事態の宣言であることです。

感染が拡大したニューヨークでは都市封鎖が進み人通りが減った ©iStock.com

 アメリカなど、すでに非常事態宣言を出している国では、市民の行動を制限するだけでなく、この宣言によって、大きな権力が政府や大統領、軍隊に集約されがちです。イタリアやフランスでは、外出禁止令に反した市民に罰金や禁固刑が科されるなど、強権的な対応もとられています。

 日本の「緊急事態宣言」は、欧米のそれとは全くの別物です。

 あくまで、個別の法律に基づいた「緊急事態」ですから、警察や軍隊の権利が拡張されたり、新たに罰金が科されるような強硬措置はありません。あくまで「要請」や「指示」ができるだけ。従わない事業者の名前を公表できますが、罰則規定はありません。戦争へと突き進んだ翼賛体制や国家総動員体制についての反省や旧伝染病予防法の反省から、自由や基本的人権の制限に慎重なたてつけと運用が念頭に置かれているためです。