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エリートなのに物知らずで可愛い……“女子アナ”人気に見る、日本人の歪んだ願望

「女子アナ」から考察する日本社会 #2

2020/07/27
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女性性を搾取しながら「これは商品ではない」と言いたい

 以前、大学在学中にホステスとして働いていたのは「清廉性がない」という理由で大手放送局アナウンサーの内定を取り消されたのは不当だとして、女子学生が会社を相手取って訴訟を起こしたが、これはまさに“生娘”を専属の職場の華として育成したいという採用側の欲望がはっきりと表れている事案である。

 この一件では、採用サイドの接客業の女性に対する差別意識と、女性アナウンサーを自社専属の接客係(顧客は視聴者と自社の意思決定層)とみなしてチヤホヤする心理とは表裏一体であることが露呈した。先述の役員の「女性に値段はつけられない」という発言と同じである。

 つまり相手の女性性を存分に搾取しながら「これは商品ではない」と言える状態が望ましいのであり、明らかに売り物の女性は興醒めだというわけだ。こうした考え方は男性に限ったことではない。

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 私は以前、ある放送局の社員と思しき女性がヘアサロンで美容師相手に「女子アナはうちの商売道具だからさ、こうもバカばっかりじゃ困るんだよね」と聞こえよがしに話すのに遭遇したことがある。女性アナウンサーを商品扱いすることがかっこいいと思っているのかもしれないが、そのような企業風土に染まれば女性であっても中身はセクハラオヤジと同じになる。

©iStock.com

 多くの場合、女性を職場の華として盛り立てている側には全く悪気はなく、従来の女性観に則って最大限の善意を働かせたつもりなのである。そしてその恩恵を受ける側も悲しいかな同様の女性観がインストールされているため、自分は特別扱いをされている、女に生まれて得をしたと思いがちだ(入社当初の私はまさにこれだった)。

 “女子アナ”とは、上を見て生きるしかないサラリーマン渡世の象徴であり、この社会のミソジニーと女性のモノ化と、そのような男性優位社会でのサバイバル術として自らを商品化して“女子”を偽装するほかない女性たちの哀しみとが詰まった、実に味わい深い呼称なのだ。

 大手民放のアナウンサーに内定した時、それはそれは嬉しかった。これで誰にも養ってもらわなくても生きていける! 自由だ! たとえ相手が文無しでも、好きになった男と番えるぞ! と思った。誰もが知っている有名企業で、世間の平均の何倍もの高い給料を稼ぐ自分は強者だ、と誇らしく思った。

「誰のおかげで暮らしていけると思っているんだ」と言った父とも、これで肩を並べることができる。私をふった元彼よりも高い給料をもらって、同級生の男子の誰よりも有名になるのだ。毎朝満員電車で尻に手をのばしてきた痴漢どもも、耳元に臭い息と舌打ちを浴びせかけてきたオヤジどもも、小6の女子児童に上半身裸で身体測定を受けさせて、ニヤニヤしながら品評したクソ教師も、もう虫ケラみたいなもんだ。私はお前らなんかとは格が違う、日本のサラリーマン社会のお貴族様なんだぞ! と思った。

 その選民意識こそがまさに自分を追い詰めた“稼ぐ男が偉い”という価値観の醜悪な表れであることを当時は全く自覚していなかった。