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小島秀夫が観た『エイリアン:コヴェナント』

ユニバースの創造主は誰か?

2017/09/10

genre : エンタメ, 映画

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『エイリアン』が突きつける、映画は誰のものか問題

『エイリアン』という物語を最初に宿し、脚本も執筆し、新しい才能を映画に呼び込んだオバノンはしかし、製作の現場では冷遇されていたという。

 プロデューサーであるウォルター・ヒルらの手によって、キャラクターの設定や台詞に徹底的な改稿が加えられたどころか、撮影現場への立ち入りも禁じられ、こっそり忍び込んだという逸話も語られている。

 何が起きていたのだろう? 

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 この作品の種子は、オバノンの脳内に最初に宿ったというのに。まるで、人間の肉体を宿主としたエイリアンの幼生が形態を変えて逃げ出し、宇宙船内を徘徊するように、『エイリアン』という映画は、オバノンのもとから姿を変えて逃走してしまったのだ。

 このことが告げているのは、『エイリアン』の作者はダン・オバノンではない、という残酷な事実だ。そして再び立ち上がってくるのは、映画は誰のものか、という疑問だ。監督はリドリー・スコット、原案と脚本はダン・オバノン、プロデューサーはW・ヒルたち。版権の所有者は出資者でもある20世紀フォックス。しかし、「作者」は誰なのだろう? 

©2017 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved

大ヒットした映画の運命

 20世紀が生んだ表現形式である映画の作者は誰なのか?(映画と同様に、ビデオ・ゲームという表現にも同じ問題は宿っている)。

 大ヒットした映画の運命は、おおかた決まっている。続編の製作が要求されるのだ。

『エイリアン2:ALIENS』は1986年に公開された。物語は前作の続きとなっているが、スタッフもキャストも、前作から一掃されている。主人公であるリプリー(シガニー・ウィーバー)以外、前作と重なる登場人物はいない。監督・脚本として新たに招聘されたのは、ジェームズ・キャメロンだった。『ターミネーター』で成功を手にしたばかりの「新人」監督である。

ジェームズ・キャメロン ©getty

 キャメロンは『エイリアン』に革新的なコンセプトをもたらした。彼のおかげで、『エイリアン』は、永きにわたってシリーズ展開が可能な作品となったのだ。「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」などの永続する作品世界(ユニバース)のさきがけでもあった。

 キャメロンの発明は、タイトルに現れている。エイリアンの姿を極力見せずに恐怖を煽る演出をした前作に対して、複数のエイリアン群(ALIENS)を登場させることで、映画をホラーからアクションに変態させたのだ。このおかげで、映画には様々な化学変化が起きた。大量のエイリアンとの戦いを軸にすることで、人間側のキャラクターが立ち上がった。見えない恐怖から逃げ惑うリプリーを、少女ニュートを救い、クイーン・エイリアンと最終対決する女戦士として脱皮させた。彼女とともに戦うコロニーの海兵隊のメンバーにも個性的な陰影が刻まれた。異空間で未知の敵と豊富な重火器で戦う、というシチュエーション、すなわちSFの世界観にミリタリーの味付けをした映像は、のちのビデオ・ゲームにも大きな影響を与えた。

 キャメロンが起こしたこの革命がなかったら、『エイリアン』のシリーズ化はありえなかった。では、キャメロンこそが『エイリアン』シリーズの新たな作者なのだろうか?

 そうではない。

 キャメロンはシリーズに新たな血を注入したが、ユニバースの創造主としてふるまうことはできなかった。『ALIENS』の原案、脚本、監督を務めた「新人」ジェームズ・キャメロンと、制作の現場であるパインウッド・スタジオとの間にたびたび確執が生じたのだ。現場に忍び込まざるをえなかったダン・オバノンの姿が、キャメロンにも重なる。

 キャメロンの心理状態がどうだったかはさておき、映画はまたもや大ヒットした。当然、さらなる続編が要請され、『3』の監督には、やはり「新人」のデヴィッド・フィンチャーが抜擢されるが、企画段階からトラブルにまみれ、フィンチャーらしさを発揮できなかった。次の『4:Resurrection』では、監督としてフランスからジャン=ピエール・ジュネが呼ばれる。前作で死んだはずのリプリーとエイリアンの復活(resurrection)を目論んだタイトルだったが、1997年の本作公開以降、新作が作られることはなかった。『エイリアン』は事実上、復活しなかった。