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「食堂のランチは豚のエサか」日産幹部が目撃していたカルロス・ゴーンの「裏の顔」――2020上半期BEST5

『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』が描いたレバノン逃亡の原点

2020/08/17
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不倶戴天のライバル、志賀vs.西川

「汚れ仕事」を担ってきた小枝が退任後、その役割を引き継いだのが西川廣人だった。

 西川は購買畑が長く、欧州法人での勤務経験もある。裏方として成果を重ねてきたが、頭角を現したのがルノーとの共同購買プロジェクトだ。2001年の共同購買会社立ち上げに関わり、部品調達のコスト削減の陣頭指揮を執った。冷静で粘り強い交渉力にはゴーンも一目を置き、引き立てた。彼もまたゴーンチルドレンのひとりとなった。

 ある元役員は西川についてこう回想する。

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「西川は1990年代に辻義文社長の秘書を務めたこともあり、上昇志向は昔から強かった。だが、ゴーンに可愛がられて出世街道の先頭を走る同い年の志賀に、なみなみならぬ嫉妬心をたぎらせていた」

 この志賀と西川の熾烈なライバル関係が、今回の事件の要因のひとつである「ゴーンの独裁や暴走」を許すことに繋がった。そうした意味で、志賀や西川もまた「戦犯」と言わざるを得ない。

2019年9月、役員報酬の不正受領により辞任した西川氏 ©AFLO

 2人は、志賀が入社年次では1年上だが、53年生まれの同学年だ。提携前の日産では東京大学出身者が幅を利かせていたが、東大卒の西川は社長秘書を務めるなど、エリートコースを歩んできた。一方、大阪府立大学卒の志賀は傍流だったが、ルノーとの提携によって2人の立場は逆転した。提携交渉の際に企画室次長だった志賀は「ルノー派」だったことから、ゴーンに寵愛されたのだ。

 西川は出世競争で志賀に対して劣勢となった。志賀より3年遅れで03年に常務執行役員に就任した。05年には副社長に昇進したものの、同時に志賀がCOOに就いたため、西川はその配下になった。

「これに西川は猛烈に嫉妬していたし、それを感じた志賀も西川批判をするようになり、2人はまさに犬猿の仲になった」(日産OB)

「汚れ仕事」担当に接近する

 西川は、巻き返しの最終手段に出る。

「ゴーンには徹底服従し、ゴーンの指示で忠実にリストラを繰り返したことで、ゴーンの目に留まったのだ」(同)

 じつは日本人上層部のライバル関係、人間関係はもっと複雑だった。ゴーンは日産を独裁的に統治していくに当たり、こうした人間関係のあやを巧みに利用してきた一面がある。

©iStock.com

 志賀、西川以外にもゴーンが実力を認めていたのが、2人と同世代の中村克己だった。中村も志賀、西川と同じ1953年生まれだが、東京大学・大学院卒だったため、入社年次は志賀よりも2年、西川よりも1年遅い78年だった。3人の中で常務執行役員への昇格は志賀が最速の2000年で、続いて01年に中村が昇格した。

 中村はもともと「開発のエース」と目されていたが、中国での合弁会社「東風汽車」の総裁を務め、日産の中国での躍進の下地を作った。その頃は、日産社内ではゴーンの後継候補は志賀か中村と見られていた。

 2人に出世で後れを取った西川は、「汚れ仕事」を担ってゴーンの覚えがめでたい小枝至に近づいた。

 小枝は、東大卒の技術屋ながら人間関係に器用であり、社内政治にも敏感で社内遊泳術に優れていた。

 当時、東大卒が多かった日産には、都内の秀才たちが通った都立日比谷高校OBの「日比谷閥」と、都立戸山高校OBの「戸山閥」があった。「日比谷閥」のドンが小枝だったが、戸山高校出身の西川は、派閥を鞍替えしてまでも小枝に近づいたのであった。

日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年 (文春新書)

井上 久男

文藝春秋

2019年2月20日 発売

「食堂のランチは豚のエサか」日産幹部が目撃していたカルロス・ゴーンの「裏の顔」――2020上半期BEST5

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