戦前・戦中の防空演習や空襲警報は、いまや遠い昔の話ではなくなった。北朝鮮がミサイル発射を繰り返し、日本各地で避難訓練が行われ、ときにJアラートも発動されるようになったからである。
とはいえ、ここでいつもの「戦前だ」「いや、戦前ではない」の退屈な応酬を繰り返しても意味はない。過去と現在を比較して、類似と差異の両面が浮かび上がるのは当たり前のことだ。要は、そこからわれわれが何を適切に学び取れるかが肝心なのである。
防空ソングと「防空思想」
そこで今回は、戦前・戦中の防空ソングを集中的に取り上げてみたい。防空ソングとは、その名のとおり、防空をテーマにした歌のことをいう。そこには典型的な軍歌から、流行歌や音頭のたぐいまで含まれる。
昭和戦前期、世界有数のレコード大国だった日本では、大きなニュースがあるごとに関連するレコードが量産された。
制作者たちは、消費者に受けるネタを求めて時代をテーマにした。政府や軍部もそれに着目し、宣伝に利用しようとした。その結果生まれた数多の歌は、時代の雰囲気を伝える貴重な資料となっている。
われわれは、防空ソングを通じて、当時の防空思想の発生と変化を読み取れるのである。
関東防空大演習と防空ソングの誕生
防空ソングの起源は、1933年に求められる。同年8月、関東防空大演習が行われ、それに関連して、数多の防空ソングが作られたからである。
たしかに、それ以前にも、防空演習は大阪、名古屋、北九州で行われ、関連する歌も作られてはいた。だが、本格化したのは、やはり1933年と見なければならない。
まだ危機感が薄かったらしく、同年中の防空ソングは、抽象的に「空を守れ」と訴えるものが多い。「護れ大空」「空の護り」「護れよ空を」「防空の歌」「敵機襲来!」「日本防空の歌」などの歌がそうで、具体的になにかをせよというよりも、問題意識の啓発に重点がおかれている。
なかには「敵機襲来!」(長田幹彦作詞、村越国保作曲)のように、危機感を煽りすぎのものも目立つ。これなど太平洋戦争中であれば、むしろ発禁処分を受けただろう。
暗くる巷 渦巻く市民
見よ毒ガスに 必死の喘ぎ
阿鼻叫喚は 地獄の雅楽
栄華の誇 西京の夢ぞ
地上の勇に 誇ればとても
空軍なくば 両手をつかね
おびえつ泣きつ 炎に追はれ
死を待つ心地 思へよ市民
国民の間で、まだまだ防空への関心は低かった。だが、関東防空大演習をきっかけに、市区町村に防護団・防護分団が組織され、国民は徐々に防空体制に組み込まれていくことになる。