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「会議でこんなこと言ってないのに」別人が演技して捏造…分析官が聞いた“驚くべき音声たち”

日本音響研究所・鈴木創氏インタビュー #3

2020/11/01
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 フィリピンのアキノ氏暗殺事件(83年)、グリコ・森永事件(84~85年)、日航ジャンボ機墜落事故(85年)などの音声分析・声紋鑑定を務めた鈴木松美氏(79)を父に持つ、日本音響研究所の所長・鈴木創氏(49)。

 2012年に引退した松美氏の後を継いで所長となった創氏に、父や仕事に対する想い、音声分析・声紋鑑定が刑事事件、民事事件でどのように活用されているのかなどを語ってもらった。(全3回の3回目。#1#2を読む)

 

聴覚にも「ゲシュタルト崩壊」のようなものがある

ーー自分の父親が、音声分析や声紋鑑定といった特殊な仕事をしていると意識したのは何歳くらいからでしょう。

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鈴木 小学校の高学年あたりですかね。大きい事件が起きるたびに、マスコミの方々や警察の方がうちにやってくるので、普通の仕事ではないんだなとは感じていました。また、音の仕事をしていることもあってか、家にはハイエンドなステレオ・セットが置いてありました。それを使って小さい頃から音楽を聴いていたので、そういった面からも我が家が音にまつわることをやっているんだなとぼんやり認識していました。

ーーお父様は徹夜で仕事されることがあったとお話しされていましたが、あまりオンとオフの切り替えはされなかったほうでしたか。

鈴木 オンとオフははっきりさせていましたね。私もそうなのですが、仕事に集中しすぎると耳が麻痺するような感じになる。階段を降りていくと急につまずきそうになるゲシュタルト崩壊みたいなものが、聴覚にも生じるんですね。

 何回も同じ箇所を聞いていると、違うものに聞こえてきたりする。でも、一度リセット、リフレッシュして聞き直すと、また新鮮な感覚で聞けるんですよ。だから、研究所から一旦離れてテレビを観に家のほうに戻ってきたりしていたので、常に仕事という雰囲気ではなかった。

 また、この仕事はこちらから営業をかけて取れる仕事ではなく、必要とされた時に取り掛かる仕事なので、忙しい時とそうでない時の差がわりと激しくて。自由にできる時間も結構あったので、子供の頃はいろんなところに連れていってくれましたね。