いよいよ総選挙が始まった。何を基準に候補者を選ぶのかということは人それぞれだと思うけれど、ひとつだけ私が提案したいのは、「党派から脱却してみませんか?」ということだ。
日本はすっかり政治の時代になって、インターネットでも政治についての議論があちこちで盛り上がっている。でも、相手を「ネトウヨ」「パヨク」「安倍信者」「アベノセイダース」と罵り合っていることが少なくない。でもこういう罵り合いは、良い結果をもたらさない。
そもそも政治というのは、「折り合い」だ。Aという主張とBという主張があって、議論する。その議論の中で、Aの人はBの人がなぜBという主張をしているのかを学び、Bを少しずつ理解する。Bの人もAの主張を学んで、理解する。さらに、AにもBにも入らないCという少数者や少数意見があることを知り、なぜそれが見過ごされていたかも学ぶ。そういう議論を踏まえた上で、現実的な結論をもたらすために多数決をする。
多数決が民主主義なんじゃなく、多数決にいく「途中」が民主主義の本質だ。それはもちろん理想論に過ぎないんだけど、その理想に少しでも近づけようと努力したい。
「敵か味方」「白か黒か」で社会はきっと悪くなる
さて、相手と自分たちを敵味方に分けて罵り合うような党派的な行動は、民主主義の理想の姿からはほど遠い。そもそも党派的な手法は、もとをただせば古典的なマルクス・レーニン主義の方法論だった。資本家階級と労働者階級は決して分かり合えることなどないので、資本家は徹底して叩きのめし、殲滅するしかない。そのためには党派をつくり、革命的な行動をすべきである、というわけだ。
革命のための手法で使われたことでもわかるように、党派は「敵か味方か」「白か黒か」をはっきりさせるので、人を熱狂に駆り立てる。ゆえに人々を動員しやすく、運動は盛り上がる。
でもこの「動員しやすさ」は同時に、デメリットにもなる。なぜなら「敵か味方か」「白か黒か」という単純な区分けで判断できるほど、社会は単純じゃないからだ。この複雑な21世紀の社会を動かしていくためには、複雑は複雑なまま駆動システムを理解する必要がある。わかりやすくすることは大切だけど、「わかりやすい=単純」ではない。
党派の目で社会を見ると、その複雑さがわからなくなってしまう。何でも善悪二元論に落とし込んでしまい、「悪を倒せば社会が良くなる」という勧善懲悪で社会を見るようになってしまう。でも悪を倒しても、社会は良くならない。それどころか、さっき書いたような「折り合い」の議論ができなくなってしまって、社会はきっと悪くなる。
そもそも政治の目的って何だっけ?
党派性が蔓延すると、政党もおかしくなる。自分たちを支持してくれる党派の中心的な層に向けて発言し、そういう層に評価される政策を選ぶようになるから、だんだん他の党派と距離が遠くなっていく。政党が「右」と「左」にどんどん分かれていってしまって、中間的な人たちは途方にくれることになる。
政治家も信頼されなくなる。いまの日本の政治でよく見る光景だけど、昨日まで他の党派を激しく非難していたのが、党派を移ったり共闘した途端に、急に擁護するようになる。相手の党派の個人的な失敗(不倫とかそういうこと)は激しく非難するのに、同じ党派の仲間は同じことをしても黙認する。これじゃあ信頼されなくなっても当然だ。
党派的になると相手党派を攻撃することにばかり夢中になって、「そもそも政治の目的って何だっけ?」ということが置き去りにされてしまう。