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経済格差を是正するために何が必要か――橘玲さんが今月買った10冊

2017/10/19
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 拡大しつづける経済格差がさまざまな社会問題を生んでいることが誰の目にも明らかになり、関連する書籍の刊行がつづいている。

橘玲さん

 EU離脱を決めたイギリスの国民投票やアメリカのトランプ大統領誕生以前に書かれた『大不平等』は、現代史を画するこの二つの大事件を完璧に予測している。著者によれば、アメリカは格差を拡大させるすべての要素が揃った「パーフェクト・ストーム」で、歴史的に不平等が一定水準を超えると社会は耐えられなくなり、なんらかのかたちで反転する。それは社会保障の拡大など穏健な手段による場合もあるし、戦争や革命のような暴力が富を破壊して「平等化」が進むこともある。アメリカの経済格差は先進国でも突出しており、私たちは早晩、その結果を知ることになるだろう。

 格差拡大を止める有力な方法が国家による教育の提供で、日本でもこども保険などが議論されている。『幼児教育の経済学』はその理論的支柱となった研究だが、膨大な文献を渉猟した著者の結論が「認知的スキルは十一歳頃までに基盤が固まる」ということなのはあまり知られていない。経済的に恵まれない三〜四歳のアフリカ系の子どもへの教育支援に高い投資収益率があるとわかったのは朗報だが、これは中等教育や高等教育への税の投入は経済学的に正当化できないということでもある。

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『アラー世代』とはヨーロッパに移民したムスリムの二世、三世のこと。パレスチナ系イスラエル人の著者は、ドイツ社会に溶け込めないムスリムの若者たちを支援する活動をしているが、そこから見えてくるのはアイデンティティをめぐる埋めがたい怒りと対立だ。ドイツの学校ではユダヤ人への差別をなくす教育が行なわれているが、そのカリキュラムはムスリムの若者には適用されないということははじめて知った。

 リベラルの立場から、なぜ自分たちの大統領がトランプなのかを考えたのが『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々』。著者が見たのはエリートに支配された社会に対する「貧しくも善きひとびと」の怒りであり、トランプ支持者に「レイシスト」のレッテルを貼って「内なる人種差別」を免責するリベラルな白人の偽善だった。

 引きこもりや草食化は日本に特有の現象ではなく、先進国に先行していただけだとわかるのが『男子劣化社会』。若い男性がゲームやオンラインポルノにはまり、社会から脱落していく現状を、アメリカの著名な心理学者が憂いている。

 知識社会化が進むにつれて、仕事に要求される学歴や資格をもたない失業者が増えていく。彼らを教育によって救済できるという処方箋が破綻したいま、リベラルにとっての最後の希望が、すべての国民に最低所得を給付するベーシックインカム。フェイスブックの創業者ザッカーバーグが、母校ハーヴァード大学の卒業式講演でこの制度に触れて話題になったが、『隷属なき道』を読むとその背景がよくわかる。

 日本は北欧と並んで経済格差の小さな社会だが、男女の格差は世界的にきわめて大きい。日本企業では、大卒女性より高卒の男性の方が二倍以上管理職になる比率が高い。その理由が、形式的には男女平等でも、長時間残業で子育て中の女性社員を差別しているからだと明らかにしたのが『働き方の男女不平等』

『競争社会の歩き方』は、行動経済学の知見をどのように実生活に活かし、世の中の仕組みを変えていけばいいかを考える。『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』は、気鋭の経済学者たちが日本経済のミステリーに挑む。いずれも、「強欲な大企業やグローバリズムはけしからん」と道徳的に非難すればすむ話ではないことがわかる。

 毎回、新刊を楽しみにしているのが上原善広さん。『路地の子』は大阪の路地(部落)で生まれ、食肉業界に生きた破天荒な父親の物語。なつかしい「昭和」の匂いがした。

 

01.『大不平等』ブランコ・ミラノヴィッチ(著) 立木 勝(翻訳) みすず書房 3200円+税

大不平等――エレファントカーブが予測する未来

ブランコ・ミラノヴィッチ(著),立木 勝(翻訳)

みすず書房
2017年6月10日 発売

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02.『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン(著) 古草 秀子(翻訳) 東洋経済新報社 1600円+税

幼児教育の経済学

ジェームズ・J・ヘックマン(著),古草 秀子(翻訳)

東洋経済新報社
2015年6月19日 発売

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03.『アラー世代』アフマド・マンスール(著) 高本 教之、犬飼 彩乃ほか(翻訳) 晶文社 2500円+税

アラー世代: イスラム過激派から若者たちを取り戻すために

アフマド・マンスール(著),高本 教之(翻訳)

晶文社
2016年11月25日 発売

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04.『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々』ジョーン・C・ウィリアムズ(著) 山田 美明、井上 大剛(翻訳) 集英社 1800円+税

05.『男子劣化社会』フィリップ・ジンバルドー、ニキータ・クーロン(著) 高月園子(翻訳) 晶文社 2000円+税

男子劣化社会

フィリップ・ジンバルドー(著),高月園子(翻訳)

晶文社
2017年7月12日 発売

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06.『隷属なき道』ルトガー・ブレグマン(著) 野中香方子(翻訳) 文藝春秋 1500円+税

隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働

ルトガー・ブレグマン(著),野中 香方子(翻訳)

文藝春秋
2017年5月25日 発売

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07.『働き方の男女不平等』山口一男(著) 日本経済新聞出版社 3200円+税

働き方の男女不平等 (日本経済新聞出版社)

山口 一男(著)

日本経済新聞出版社
2017年5月25日 発売

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08.『競争社会の歩き方』大竹文雄(著) 中公新書 820円+税

競争社会の歩き方 - 自分の「強み」を見つけるには (中公新書)

大竹 文雄(著)

中央公論新社
2017年8月18日 発売

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09.『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』玄田有史(編) 慶應義塾大学出版会 2000円+税

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか

玄田 有史 (編集)

慶應義塾大学出版会
2017年4月14日 発売

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10.『路地の子』上原善広(著) 新潮社 1400円+税

路地の子

上原 善広(著)

新潮社
2017年6月16日 発売

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経済格差を是正するために何が必要か――橘玲さんが今月買った10冊

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