恋仲にあった人物を軍事力で叩き潰す苛烈さを持ち合わせた天皇
「女帝の手記」の主人公、孝謙・称徳天皇の時代も、皇族は大きな危機に直面していました。孝謙・称徳天皇は聖武天皇の娘で、女性として史上唯一の皇太子になり、749年から770年の間に2度皇位につきました。彼女が生きた700年代は天皇の座をめぐる苛烈な権力争いが繰り広げられていた時代なんです。
私は孝謙・称徳天皇を、かつて恋仲にあったと思われる藤原仲麻呂を軍事力で叩き潰す苛烈さを持ち合わせた人物として描きました。その決断によって皇室は存続したわけですが、戦いが逆に転んでいれば“藤原王朝”ができていてもおかしくなかったでしょう。
今は天皇が政治力を持っていませんが、かつては絶対的な権威であり権力者でもあった天皇という立場は、常に反乱や暗殺と背中合わせでした。反乱を恐れてライバルを次々と殺していたら皇位継承者がほとんどいなくなってしまった雄略天皇の例や、1人も後継者が見当たらず血筋を遡りようやく探し当てて即位にこぎつけた継体天皇の例もあるほどです。
道鏡は本当に悪人か
孝謙・称徳天皇と聞くと、道鏡を思い出す人も多いと思います。道鏡といえば日本史上に残る「悪人」として有名で、「女帝を性的にたぶらかして自ら天皇になろうとしたいかがわしい僧侶」というイメージが定着していますよね。
ただ私は道鏡の書いた文字を資料で見たことがあるのですが、とても素直な人だという印象を受けました。資料を調べても、道鏡が悪人だとはどうしても思えないんです。
それにもし道鏡が本当に国家乗っ取りを企んだ悪人だったとすれば、孝謙・称徳天皇が亡くなって後ろ盾を失ったあとに、当然死罪にされているはずです。ところが実際は、当時日本三大寺院の1つと言われた下野薬師寺の長官になっています。これはもちろん左遷ですが、お寺の長官は今でいえば大学の学長の立場ですから、そこまでひどい身分でもありません。
これはおそらく、道鏡が本気で国家転覆を狙っていたわけではないことを周囲もわかっていて「女帝さまの方が彼に夢中になっちゃって大変だったね」というような同情があったんだと思いますね。