文春オンライン

「こんばんは、徳川家康です」大河ドラマ『青天を衝け』に“型破りな語り部”が出るのはなぜ?

2021/07/18
note

 近松は初回のオープニングからさっそく登場すると、「昨今は心中ものを多く手がけたせいか幕府のお役人衆ににらまれ、難儀をしております」とぼやく。だが、これにへこたれる近松ではない。「天下定まり、太平の世とは申せ、人の心に住み着く煩悩はいかんともしがたし。これはお上も下々もご同様。さればでござる。こたびは将軍家にまつわる内々の話を筆の走るがままに書き連ね、頭の固いお役人衆に一泡吹かせようと、かように存じております」と、反骨精神をもって時の体制の内幕へと斬り込んでいく。

 吉宗より30歳ほど上の近松は、ドラマの途中で亡くなるのだが、死後もあの世から亡霊となって舞い戻り、最終回まで語り部を務めることになった。「さればでござる」が決まり文句のその名調子も功を奏してか、それまで何作か苦戦が続いていた大河にあって、最高31.4%、平均26.4%と久々に高視聴率を記録する。

《少しふざけ過ぎたかも知れないと反省》

 近松で成功したのに味をしめたジェームス三木は、再び手がけた大河『葵 徳川三代』(2000年)でも、語り手に中村梅雀演じる水戸(徳川)光圀(水戸黄門)を据え、その家来として佐々介三郎と安積覚兵衛も登場させた。時代劇『水戸黄門』における助さん・格さんのモデルだが、このドラマでは史実に合わせ、光圀の始めた史書『大日本史』の編纂事業に従事する役回りだ。それぞれ浅利香津代、鷲尾真知子と女優をキャスティングしたのも異色だった。

ADVERTISEMENT

 劇中の光圀は『大日本史』を編纂するにあたり、“正しい歴史”を追究するため、身内である家康・秀忠・家光の徳川三代(演じたのはそれぞれ津川雅彦・西田敏行・二代目尾上辰之助=現・四代目尾上松緑)にも遠慮することなく客観的な視点を心がける。その点は『八代将軍吉宗』の近松門左衛門と同じだ。

『大日本史』の編纂が始まるのは、徳川三代が全員亡くなったあと、1657年からだが、光圀はときおり過去にワープして解説するなどの遊びも見られた。極めつきは最終回で、光圀が白ひげに頭巾と羽織をまとったおなじみの“水戸黄門”の出で立ちで現れたかと思えば、諸国漫遊に出かけると言い出す。それは史実ではないと介三郎と覚兵衛が必死に止めるのだが、光圀は印籠を突き出し、葵の紋がアップになったところでドラマは幕を閉じた。最後までサービスたっぷりであったが、ジェームスは《少しふざけ過ぎたかも知れないと反省している》と後年記している(『片道の人生』)。

主人公と対立する相手を語り部に

『八代将軍吉宗』も『葵 徳川三代』も、主人公と対立する相手を語り部に据えることで、とかく英雄として描かれがちな歴史上の人物を、既存の固定されたイメージにとらわれず相対的に描き出そうという姿勢がうかがえる。これはその後の大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)で岩崎弥太郎(香川照之)、『平清盛』(2012年)では源頼朝(岡田将生)を語り手にしたことなどにもつながっているように思われる。

岡田将生 ©文藝春秋

 大河ドラマにおけるユニークな語り手といえば、一昨年放送の『いだてん~東京オリムピック噺~』で、日本の五輪初参加から1964年の東京五輪の開催までを語らせるのに、オリンピックとは無縁のはずの落語家の古今亭志ん生を持ってきたのも忘れがたい。青年期~壮年期を森山未來、老年期をビートたけしが演じた志ん生は、語り手というだけでなく、物語の鍵も握り、狂言回しと呼ぶにふさわしい活躍を見せた。

森山未來 ©文藝春秋

 大河ドラマは、可能なかぎり史実をベースにしている点で、一般的な時代劇とは一線を画す。それだけに、登場人物や時代背景の解説には昔から力を入れてきた。そこで思い出されるのは、『独眼竜政宗』(1987年)のオープニングタイトルの前、いわゆるアバンタイトルでの解説コーナーだ。