これだけ見る前に気が重いと思うことはなかなかない。けれど、見なければいけないと思った。
日本の犯罪史に残る残虐な連続殺人、いわゆる北九州連続監禁殺人事件。『ザ・ノンフィクション』で2週にわたり放送されたのは、その犯人を両親に持つ息子の独白だ。
現在24歳の息子は、この事件を扱った同局のドキュメンタリーに抗議の電話をかけてきたという。番組のせいで自分までもがネットなどで批判にさらされてしまう、と。そうした番組プロデューサーとの対話の中から、自分から発信する決意をしてカメラの前に出てきたのだ。事件発覚当時、彼は9歳。幼いながらも、見てきたものや受けたことに対して自覚のない年ではない。事実、「人をばらして煮込んでミキサーにかけておたまですくったり……、ものすごく臭いんです」などと彼が淡々と語る事件の記憶は耳を塞ぎたくなるほど悲惨で壮絶なもの。『さわやか3組』を見て「学校」という存在を知ったという彼の境遇は想像を絶していた。
彼が今回の取材を受ける条件としたのは、「本名は公表しない」「顔は隠す」「声はそのまま使う」というもの。正直言って、「声」は個人特定の重要な要素の一つだから、大丈夫なのだろうか、と思うけれど、そういうリスクを負ってでも自分のリアルな思いを伝えたいと考えたのだろう。実際、加工されていない生の声の力は大きく、よどみなくハッキリした口調で語られるそれは、彼が気の遠くなるほど自問自答を繰り返してきたのだと感じさせた。また強固な人間不信やその生々しい感情がにじみ出ていた。
特に印象的なのは母親に対する憎悪だ。事件の主従関係で言えば父が主で母は従。絶対的権力者であった父に母は従っていただけだ。恐怖の対象であった父親に対してはそれほど感情をぶつけない彼が母親に対しては「僕母親がすごい嫌いなんですよ」と嫌悪感をあらわにしている。一方で刑が確定した後、20回ほど面会に行ったり、届いた手紙をすべて読み、保管したりもしている。手紙の封の開け方がかなり雑なのがその心境の複雑さをあらわしているようだ。きっと彼は母に対して幾ばくかの愛情があるからこそ、その分、憎しみをぶつけているのだろう。
重く苦しい。けれどまさに主題歌「サンサーラ」で歌われるように「生きている その現(うつつ)だけがここにある」。これもひとつの現実だ。
▼『ザ・ノンフィクション』
フジテレビ 日 14:00~14:55