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ALSと診断され余命2年の宣告…「人類初のサイボーグ」として生きる決意をした科学者の“人生をかけた実験”

須田桃子が『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン』(ピーター・スコット-モーガン 著)を読む

2021/09/07
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『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来』(ピーター・スコット-モーガン 著/藤田美菜子 訳)

 意識は正常なまま、体の筋肉が少しずつ動かなくなっていく。やがて動くことはもちろん、話すこともできなくなり、自分の意思で動かせるのは眼球だけになる――。

 ロボット工学の博士号を持つ著者、ピーター・スコット-モーガン博士は2017年、この過酷な神経難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、余命2年の宣告を受けた。恐怖や絶望に襲われながらも、AI(人工知能)と融合した「人類初のサイボーグ」として生きることを決意する。

 博士が望んだのはただ生き延びるのではなく「繁栄する(thrive)」こと、すなわち、人との円滑なコミュニケーションや社会生活を維持し、その過程で自らも成長していくことだ。そのために病気の先手を打って、呼吸や食事、排泄のための医療処置を受ける。顔や喉の筋肉が衰える前に音声と表情のデータを収録し、リアルな頭部の3Dアバターと合成音声を作成する。

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 ただし、本書をサイエンス・ノンフィクションだと思って手に取った人は少し戸惑うかもしれない。「サイボーグ化」のテクノロジーを逐一解説する内容ではないからだ。むしろ本書は、真摯なラブストーリーであり(とりわけパートナーの献身と包容力には胸を打たれる)、同時に、壮大なプロジェクトにどうやって周囲を巻き込み、実現していくかを指南するビジネス書と言える。

 少年時代、ゲイの存在を否定されたのをきっかけに慣れ親しんだエスタブリッシュメントの世界を飛び出し、偏見に抗してパートナーとの愛を育んできた。博士のその経験こそが、既存のルールに縛られない柔軟な発想力と、困難に立ち向かう不屈の精神力を培った。

「最愛の人と共に生きていきたい」という切実な願い、そして自分の「人生をかけた実験」が、ALSに限らず、体の自由を失った世界中の人々の助けになるという信念。この二つを原動力に、博士は医師を説得し、インテルなどの大企業の協力を取り付け、世界中から能力と熱意のある人材を集めて継続的な研究体制を構築していく。

 博士が思い描く人類の未来は、病気や怪我による障害だけではなく、老いや死さえもテクノロジーの力で乗り越えていく未来だ。最終章ではそのイメージが、思い切った手法で示される。

 AIにあらゆる記憶と思考のプロセスを学ばせれば、AIにその人の人格が宿るのか。肉体が生物学的な死を迎えても、サイバー空間の「分身」は生き続けられるのか。そうした「永遠の生」は、社会にとってどんな意味を持つのか――。読み終えた夜は、たくさんの問いが頭の中に浮かんで眠れなくなった。

 歴史の新しい扉はこれまでも、強い意志を抱く個人の力で開かれてきた。本書が人類の新たな「生」を提案しながら、徹頭徹尾、パーソナルな物語として綴られている理由はそこにある。

Peter Scott-Morgan/インペリアル・カレッジにて博士号取得(ロボット工学)。世界中の企業や政府機関に、システム上の脅威の分析と助言を行ってきた。2017年、ALSと診断されたが、21年現在も研究、執筆、メディア出演を精力的にこなしている。
 

すだももこ/科学ジャーナリスト。毎日新聞記者を経て、NewsPicks副編集長。著書に『捏造の科学者』『合成生物学の衝撃』などがある。

NEO HUMAN ネオ・ヒューマン: 究極の自由を得る未来

ピーター・スコット-モーガン ,藤田 美菜子

東洋経済新報社

2021年6月25日 発売

ALSと診断され余命2年の宣告…「人類初のサイボーグ」として生きる決意をした科学者の“人生をかけた実験”

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