あの事件と似ている――。ページを繰りながら何度そう思ったことだろう。
指先から採った微量の血液で、二〇〇種類以上の病気の診断ができる。そう謳ったベンチャー企業セラノスのCEO、エリザベス・ホームズは、多額の投資を集め、メディアにも露出して一躍時代の寵児になる。セラノスの評価額は九〇億ドルまで膨れ上がり、ホームズは「第二のスティーヴ・ジョブズ」と称された。
しかし、肝心の検査装置は虚構だった。
本書は、一五〇人以上の関係者への聞き取り調査をもとに、不正のからくりとホームズのつかの間の栄光、その裏の隠蔽工作をつぶさに描いた迫真のノンフィクションである。
似ていると感じたのは、セラノスが脚光を浴び始めたのと同じ、二〇一四年に起きたSTAP細胞の研究不正事件だ。
中心人物がプレゼン能力に秀でた若い女性であること。彼女を権威ある男性たちがこぞって高く評価したこと(驚くことに、ホームズの信奉者には元国務長官や米中央軍司令官もいた)。秘密主義だったこと。渦中に自ら命を断った関係者がいたこと――。動いたお金の規模こそ違うが、共通点を挙げればきりがない。
ウォール・ストリート・ジャーナルの調査報道記者だった著者は、セラノス側の脅迫まがいの妨害にも屈せず執念のスクープを放つ。
不正を暴く過程は息もつかせぬ迫力だが、何より胸を打たれるのは、勇気を振り絞って告発する元従業員らの姿だ。血液検査はそれを受けた人々の健康、時には命を危険にさらす。まともな倫理観を持つ人には、不正を見過ごすことは耐えられなかった。STAP報道もまた、心ある研究者たちの協力に支えられた。
事件の背景にも似通った部分があるのは興味深い。
シリコンバレーには元々、大風呂敷を広げて資金調達するのをよしとする文化がある。一方の生命科学分野も、生きた細胞や生物を扱うがゆえの実験結果の揺らぎを許容する土壌があり、再現性を問われたときの一時的な隠れ蓑にもなった。
もう一つの類似点は、どちらもジェンダーバランスが極めていびつな業界で起きたということだ。
著者はホームズが一気に有名になった理由をこう分析する。「男性が支配するテクノロジー業界に風穴を開ける女性起業家を社会が待ち望んでいたところに、エリザベスが登場したからだ」。日本の科学界も、研究室を主宰する女性研究者はいまだ数少ない。
STAP報道では、私はあえてジェンダー問題に踏み込まなかった。科学的な視点から研究不正の全貌に迫ることが何より大事だと考えたからだ。だが、本書を読み終えた今、両事件は男性優位の社会だからこそ起きたのだと確信している。彼女たちにお墨付きを与え、持ち上げた男性陣の存在なくしては、どちらの不正も成立しなかった。
John Carreyrou/「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙の調査報道記者として20年にわたり勤務後、フリーランス・ジャーナリストとして活動中。ピューリッツァー賞を2度受賞。現在、ニューヨークのブルックリンで妻と3人の子供たちと共に暮らしている。
すだももこ/科学ジャーナリスト。毎日新聞を経て2020年4月からNewsPicks副編集長。著書に『捏造の科学者 STAP細胞事件』等。