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なぜさびしい町に惹かれるのか…異国で見続けた「冒険でも観光でもない日常」

川本三郎が『わたしが行ったさびしい町』(松浦寿輝 著)を読む

2021/05/16
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『わたしが行ったさびしい町』(松浦寿輝 著)新潮社

 どちらかといえば書斎派の印象が強かった松浦さんがこんなにも世界各地を旅しているとは意外だった。

 旅先はフランスをはじめアメリカ、イタリア、モロッコ、中国、韓国、台湾、ミャンマーなど実に多い。

 冒険の旅ではない。観光旅行でもない。日常の延長のような旅。異国にあっても散歩を楽しんでいる。

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 表題にあるように「さびしい町」が好き。従って評者などまったく知らなかった町が次々に出てくる。

 ペスカーラ(イタリア)、イポー(マレーシア)、ニャウンシュエ(ミャンマー)などよくこんな町にと驚く。「さびしい町」とは、普通の町、何の変哲もない町のこと。松浦さんは「普通」に惹かれる。

「そしてさびしいと思いながらただ歩いて、風景や人々を見て、旨い魚を食べる――旅とは結局、そうしたものではないだろうか。観光名所を勤勉に経巡(へめぐ)る旅より、よほど旅らしい旅なのではないだろうか」。

 たまには観光名所をと真冬にナイアガラの滝を見に行くと町は閑散としていて、おまけに滝は凍っていたという旅が、だからこそ心に残っているという。

 旅は奥さんと二人のことが多い。現地でレンタカーを借りて走る。ときには予期せぬ出来事も起る。アリゾナで車が故障し、やむなくモーテルに泊る。四日間を無為に過すが、振返ってみればあれはあれでいい体験だと思う。思いがけずさびしい町で過したのだから。

 若い頃から初老の現在まで過去の旅の思い出になっている。記憶の霧のなかからさまざまなさびしい町が浮かび上がってゆく。

 そもそも二十代でパリに留学した時に住んだところは観光名所とは縁がない普通の庶民の町、十五区だったというからさびしい町への愛着は一貫している。

 映画好きの松浦さんだけに好きな映画のロケ地に出かけることもある。いまふうにいえば聖地巡り。

「シベールの日曜日」のパリ近郊のヴィル=ダヴレー。ここも何もないところだからこそよかった。

 あるいはオーソン・ウェルズの「オセロ」のロケ地になったモロッコのエッサウィラ。この映画を愛する松浦さんは、映画に登場する「城塞(スカラ)」から海を眺めた時、「震えるような感動を覚えた」という。

 さびしい町が愛する映画の記憶によって特別の場所になってゆく。

 なぜさびしい町に惹かれるのか。それは人生そのものがさびしいからではないか。無論、そのさびしさは心を豊かにするものだ。フランスの諺(ことわざ)に「選んだ孤独はよい孤独」という至言があるが、さびしい町には、現代社会につきものの喧騒とあわただしさがない。

 さびしい町を歩くことは「よい孤独」を感じとることでもある。だから松浦さんは書く。

 普通の一日、変哲もない一日は「実は奇蹟のような何かではないのか」と。

まつうらひさき/1954年東京生まれ。詩人、小説家、東京大学名誉教授。『冬の本』『青天有月』『エッフェル塔試論』『半島』『川の光』『明治の表象空間』『名誉と恍惚』など著書多数。
 

かわもとさぶろう/1944年東京生まれ。評論家。著書に『『細雪』とその時代』『映画のメリーゴーラウンド』など。

わたしが行ったさびしい町

松浦 寿輝

新潮社

2021年2月25日 発売

なぜさびしい町に惹かれるのか…異国で見続けた「冒険でも観光でもない日常」

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