生まれもった体に拠る生物学的な性別と、自分自身が感じる性別(=性自認)が一致しない状態にある人を、「トランスジェンダー」と呼ぶ。これは「LGBT」の「T」にあたり、たとえばペニスを持って生まれてきた人は生物学的には男性だが、その人自身が自分の性別を「女性」であると自覚していた場合、本人の性自認に合わせて「トランス女性」と呼ぶ。

 漫画家のペス山ポピーさんは女性の体を持って生まれてきたが、小学生の頃から「自分は男だ」と信じて疑わなかった。現在の性自認は「男性よりの中性」で、男性/女性どちらにも区別されない「ノンバイナリー」と語る。

 この文章を書いている聞き手の私は、生物学的な性も性自認も一致している女で、これまで男になりたいと思ったこともなかった。ゆえに、ペス山さんが『女(じぶん)の体をゆるすまで』の中で描いている性別への違和感は、どう逆立ちしてもわからない。だからこそ知りたくて、ページを繰る指が止まらなかった。(全2回の2回目/前編を読む

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ペス山ポピーさん ©文藝春秋

「性」を弄ぼうとした同級生たち

「小学校高学年頃に体が変わってくるまで、自分は男だと本気で信じていました。玄関にあった姿見で自分の体をチェックするのが日課だったんですけど、ある日、鏡に映った全裸の自分を見て、『何だこれ?』となって。今思えばこのとき感じた感覚が違和感の源泉で、自分の体を見た時にはっきりと『これじゃない』と思ったんです。きっとそういう感覚って、生物学的な性も性自認も一致している“シスジェンダー”の人は感じたことがないのではないでしょうか」

©ペス山ポピー(小学館)

 高校時代、ペス山さんはジェンダーの押しつけから逃れたい一心で、墓掘り人のような黒一色のゴス服を身にまとい、“変人”となることで性別を超えた存在になろうとした。同級生たちは、そんな男にも女にもはまらない「異質な存在」を素早く察知し、ペス山さんの性を弄ぼうとした。

「美術部の合宿でババ抜きをした時、負けた人は罰ゲームで用意された衣装を着て写真を撮る、という遊びをしたんです。私はたまたま勝ち続けたんですけど、女の子たちはフリルの付いたピンクのメイド服を何が何でも私に着せようとしていたんです。他にも蛙の全身タイツとか赤ずきんちゃんの衣装があったのに、あえて最も“女っぽいもの”を私に着させようとしたんですね。他にも、ことあるごとに『この絵は“女子の感性”じゃないと描けないよね』と言われたり……。何かと私を“女”の枠にはめようとしてくる女子たちに辟易して、女全員を敵と感じるようになりました」