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「車椅子の母の手で操縦するクルマとか、障害のある弟がコンビニで出遭った奇跡とか…」 岸田奈美が障害のある家族と暮らして気付いた人間の“本能”

「車椅子の母の手で操縦するクルマとか、障害のある弟がコンビニで出遭った奇跡とか…」 岸田奈美が障害のある家族と暮らして気付いた人間の“本能”

藤崎彩織×岸田奈美#2

2021/10/08
note

「ありがとう、合わせようとチャレンジしてくれて」

藤崎 私からすると、岸田さんのエッセイこそまさに視点を増やしてくれるものですよ。岸田さんは「もうあかんわ日記」の中で、言葉やルールを使わないと共存できないつくりになっている今の社会に、ダウン症の人たちがうまく合わせてくれているのかもしれないと書いていましたよね。社会がダウン症の人たちを受け入れてあげていると考えるのがふつうのところを、見方を完全にひっくり返して、しかもみんなを納得させてしまうのがすごい。

 ふと、海外に行ったときの自分の経験を思い出しました。向こうへ行くと私は第二言語で話すことになるから、つたない内容しか言えなくなります。わかりづらかったらごめんなさいと現地の人に伝えると、いや君は第二言語でのコミュニケーションにトライしてくれていて素晴らしいよと言ってくれた。きっとこれと同じことなんじゃないかと思いました。ダウン症の人がそうじゃない人のつくった社会に適応しようとしてくれているのは、海外で第二言語を使って意思疎通を図ろうとしているようなもの。マジョリティの側こそ、「ありがとう、合わせようとチャレンジしてくれて」と感謝すべきところですよね。

藤崎彩織さん

誰かの役に立ちたい、喜ばせたいという気持ち

岸田 私、人は誰かの役に立ちたくて生きてると思うんですよ。ウチの弟は最近、初めて自分でお金を稼ぐことができたんですね。それを何に使うかな? 欲しいと言っていたゲームでも買うのかな? と思って見ていたら、マクドナルドで私とお母さんの分を買ってきて渡してくれた。どうやら彼はずっと、人に何かを奢ることに憧れていたらしい。それで24歳にして初めて自由に使えるお金を持ったとき、誰かのために使いたいと思ったんです。

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 人間には本能的に誰かの役に立ちたい、喜ばせたいという気持ちが備わっているんだと教えられましたね。障害のある人といっしょに暮らしていると、一見、私がいろいろ助けてあげているようでそうじゃない。私のほうが助けられたり教えられたりすることがいっぱいあります。そのあたりの固定観念がなくなって、みんなの見方がもっと自由になっていくといいなと思いますね。

藤崎 たしかに私たちがバンドで活動するときにも、人に喜んでもらえる曲をつくりたいし、小説を書くときも同じで、読んで喜んでもらいたいと思う気持ちが一番大きな原動力ですね。

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