文春オンライン

東海道新幹線「のぞみ」の“ナゾの通過駅”「掛川」には何がある?

2021/11/01

genre : ライフ, , 歴史, 社会

note

“新しい都市”南側から北側に向かうと「黒い外壁にオレンジの『JR』」

 ただ、古い地図を見てみると掛川駅の南側はまったくもって後から開発された地域だ。新幹線が開通するまではほとんど市街地もないような状態。平地はすぐに終わって海との間には丘陵地が横たわっているので、あまり開発の余地がなかったのだろう。この丘陵地を新幹線に沿って少し東に戻ると、大規模野外ライブ会場として名の知れたつま恋リゾートもあるが、少なくとも掛川駅の南側は都市としての歴史は新しい。

 となると、東海道本線に面している反対の北側に出ねばならぬ。幸いにして南北を結ぶ自由通路が駅の構内にあるのでそれを通る。新幹線の高架下は地上からまっすぐ、在来線は地上を通っているのでそこは半地下になって抜けていく自由通路だ。

 

 すぐに駅の北側に出て、なんだかステージのようになっている駅舎脇の階段を上って駅前広場へ。こちらの駅前広場も、さすが掛川市、市の玄関口だけあってよく整備されている。

ADVERTISEMENT

 
 

 特に目を引くのは掛川駅舎そのものだ。黒い壁が印象的な、妻入りの大きな木造駅舎。妻の部分に「JR掛川駅」と駅名看板が掲げられ、そのうち「JR」はJR東海カラーのオレンジ色だ。黒い外壁にオレンジの「JR」がよく目立つ。

 

この木造校舎は…

 この掛川駅の木造駅舎は、なんと1940年にできたものだ。耐震上の問題から、2013~2014年にかけて一度取り壊し、資材を再利用して同じ外観の駅舎に建て替えているが、これはもうテセウスの船、新しい駅舎か古い駅舎かを論じはじめると哲学的な問題になってしまうので、1940年生まれの古駅舎ということにしておこう。

 

 この立派な駅舎が建設されたのは太平洋戦争間近という時代だった。その少し前の1935年には二俣線というローカル線が掛川駅を起点に一部開業して分岐駅となったから、それに関係しているのかもしれない。

 

 東海道本線が浜名湖の南側、海沿いを通るのに対して、二俣線は浜名湖の北を迂回する。海沿いを走る鉄道が敵の艦砲射撃のターゲットになり得るという事情から、万が一に備えて“バイパス”として二俣線を建設したのだ。幸いにして東海道本線が艦砲射撃の被害を受けることはなかったが、その後の歴史の展開を見れば先を見通していたバイパス建設であったといっていい。

 ただし、バイパスはあくまでもバイパス。道路の場合はバイパスが既存道路を上回って大動脈になることが多いが、鉄道はなかなかそうはいかない。“いざというときの予備”としての意味合いがあるからなのか。結局、二俣線は収支の振るわないローカル線として1987年に国鉄から切り離されて第三セクターとなり、現在は天竜浜名湖鉄道として運営されている。