文春オンライン

「おかえりモネ」が描き続けた“生きづらさ”の正体…《手をつなぐラストシーン》に込められた深い意味

2021/11/03
note

「これで救われる?」という問いかけ

「おかえりモネ」が秀逸だったのは、極めて優秀に見える若い世代の人たちが社会的鎧を剥いだその内側に迫ろうとしていたことである。それも寓話「北風と太陽」の太陽のように、旅人に自然にコートを脱がせるような手つきで。無理に本音を聞き出すのではなくやわらかに触れ合うことで登場人物たちは互いによそゆきの顔を剥がし、ようやく前に進むことができるようになる。

 百音に本心を明かすことで少しだけ楽になった菅波、亮、未知。だからといって、それで完全に救われたわけではない。救われたと思うことも、救えたと思うことも、「おかえりモネ」は良しとしない。

「あなたのおかげで助かった」という言葉は「麻薬です」と感謝されていい気分になることを警戒する菅波。「これで救われる?」と刹那的な関わりを拒絶する百音、「俺が救わえれでしまうんじゃねがっで」と自戒する耕治。もっともらしい発言を「きれいごと」と指摘する亮や、震災当時幼かった高校生。

ADVERTISEMENT

 BUMP OF CHICKENの主題歌「なないろ」で印象的な歌詞「ヤジロベエみたいな正しさ」にも似た、かすかにゆらぎバランスをとりながら相手や社会との間合いを慎重にはかることは極めて知性的な行為だと感じると同時に、これもまた生きづらい世の中を表しているのではないだろうかとも感じる。

【Twitter】番組公式アカウントでのツイート
 

 最終回もいい感じにまとめて視聴者が満たされるハッピーエンドではなかった。それこそが“今”だとしたらなかなかしんどい。でもこれ以上、笑顔できれいな話にくるんでいったらもっと苦しくなるだけだろう。だからゆっくりでいいから少しずつ感情を解き放とう。あなたの心で暴れだすケモノはひとりで抱え込まなくてもきっと誰かが一緒に抱きしめてくれる。「おかえり」という言葉は、何があっても立ち上がって歩き続ける人へのクスリのような言葉である。

 最後に。役を通して今の時代の少し途方に暮れた気持ちをその表情に映し出した若手俳優たち――清原果耶、坂口健太郎、蒔田彩珠、永瀬廉たちの才能には目を瞠るものがあった。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。

「おかえりモネ」が描き続けた“生きづらさ”の正体…《手をつなぐラストシーン》に込められた深い意味

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー