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「捜査当局にとって痴漢は重大事件ではないので、捜査官の熱が冷めてしまうのかも…」それでも日本で“痴漢冤罪”による前科・前歴が生まれ続けるワケ

『生涯弁護人 事件ファイル2』より #2

2021/12/12
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冤罪での処罰は国家による人権侵害の最たるもの

 なお、この判決は5人の裁判官のうち3人が無罪の意見を述べ、2人が有罪(被告人の上告棄却)の意見を述べたものであり、判決理由からも、論点について鋭く意見が対立していたことが窺える。

 「合理的な疑い」とは、簡単に言えば「通常人なら誰でもが抱く疑問」のことだ。裁判所が公訴事実(犯罪事実)を認定するには、その事実について「合理的な疑いを超えた証明」が必要だとされている。つまり、「通常人が抱くような何らかの疑問点が残る場合は、有罪としてはいけない」というのが裁判の原則である。

 ところで、この最高裁判決で注目すべき点は、多数意見(無罪)を述べた裁判官の1人である那須弘平(*4)氏が補足意見として次のように述べたことである。

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*4 那須弘平:弁護士出身の元裁判官。1969年弁護士登録。第二東京弁護士会副会長、日弁連常務理事、東大法科大学院客員教授を経て2006年に最高裁判事に就任。2012年に定年退官し、再び弁護士登録。

「冤罪で国民を処罰するのは国家による人権侵害の最たるものであり、これを防止することは刑事裁判における最重要課題の1つである。刑事裁判の鉄則ともいわれる『疑わしきは被告人の利益に』の原則も、有罪判断に必要とされる『合理的な疑いを超えた証明』の基準の理論も、突き詰めれば冤罪防止のためのものであると考えられる」

「痴漢事件について冤罪が争われている場合に、被害者とされる女性の公判での供述内容について『詳細かつ具体的』、『迫真的』、『不自然・不合理な点がない』(中略)ようなものであっても、他にその供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をすることは、『合理的な疑いを超えた証明』に関する基準の理論との関係で、慎重な検討が必要であると考える」

写真はイメージです ©iStock.com

 那須氏がこのような補足意見を述べたのは、痴漢事件の裁判全般に、「疑わしきは罰せず」「合理的な疑いを超えた証明」という刑事裁判の原則を逸脱した判決が少なからずあったからだ。那須氏は、当然ながら、痴漢事件にもこれらの原則が当てはまることを裁判所は改めて認識すべきであると、警鐘を鳴らしたのである。

 このように最高裁で裁判官が補足意見で慎重な審理を求めるほど、痴漢事件というのは事実誤認が問題になりやすい事案なのである。