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《移民受け入れ是か非か》ドイツ人の私がどうしても気になる「ドイツの失敗を見ろ」問題 社会の評価は「おおむね成功」、勝因は“大阪のおばちゃん的”行動様式?

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 さて、「ドイツの実績を踏まえて、日本は移民政策をとるべきか?」と訊かれた場合、まっとうな形で応えるのはなかなか難しい。というのも冒頭でも述べたように、日本国内では、移民受け入れというテーマがまともな議論として成立していません。そんな文脈には、どう頑張って頭を突っ込んでもロクなことがありません。

 日本の移民問題を語る上で、というかそれに限らずですが、他国の経験は思考の材料ではなく、恣意的に使用されるドーピング薬みたいなものに過ぎません。まずはこの言論状況とその常態化をなんとかしないと、移民政策を推進するにしても止めるにしても、社会的な「成功」はありえないと思います。

岸田文雄総理が提案した「外国人就労の拡大」には異論が噴出 ©時事通信社

ドイツのボランティアたちの「図々しさ」

 以上のあれこれを踏まえて、敢えて「移民到来となった場合」に活かせるドイツ的な経験は何かしらありますか? という興味のために、ひとつ思い当たる点を述べたいと思います。

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 たとえば、ボランティアの「動機」です。

 日本で移民・難民の生活サポートボランティアを募集すると、いわゆる「善なる」使命感に満ちた、性善説ベースの人が多く集まりそうな気がします。ドイツでもその傾向が無いわけではないのですが、実際には違いがあります。それは、ドイツのボランティア参加者たちの動機のほうが、「単なる知的好奇心」の度合が微妙に高いあたりに表れます。

 その性質のため、移民に対する「性善説」的な前提もやや薄く、ボランティアが「守護者」であると同時に、なんというか「監視者」的な側面を有してしまう印象があります。

 このへん、ドイツ人特有の(つまり、フランス人やイギリス人が眉をしかめる)図々しさが遺憾なく発揮される局面ですが、それが意図せざる形で犯罪抑止の一助となっている感じですね。

 なんかそれって、ボランティア精神的な崇高感にいささか欠ける気がしなくもないですけど、移民・難民サイドから見ても、妙な同情心を押し付けられるよりは単なる好奇心をぶつけられる方がむしろ付き合いやすい相手になったりすることも多いので(私の親類での実績アリ)、何が幸いするかわからないものだなと思います。