日本でここしばらくホットな「移民受け入れ可否」論争。

 噛み合わない言い争いが延々と続くのはともかくとして、ドイツ人の私がどうしても気になるのが「ドイツの失敗を見ろ」という物言いです。

 ドイツを妙に理想化するタイプのリベラル系識者と、その裏返しに「ドイツの善=偽善」という観点からすべてを説明し尽くそうと図るタイプの保守系識者との間での極論バトル。ここから生じるのは「結論」ではなく「決めつけ」でしかない。

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 そもそも移民難民というテーマが「言説強化のためのネタ」に成り果てており、ドイツでの実績や教訓についても、自陣営にとって都合の良い部分だけをピックアップし、針小棒大に膨らましてアジテーションするだけ、という状況が半ば固定化しています。

 あの論争の延長上に何かまともなものが生じるようには思えませんが、それはそうと、移民流入・定着後にドイツ人が本当に「移民の受け入れは失敗だった」と思っているのかどうかは、意外と検証されていません。

マライ・メントラインさん

「アイデンティティが危機!」という反発はドイツにもある

 受け入れてみて実際ヤバかったのかそれとも案外いけたのか。そのへん単なる主観的一例っていう前提でいいからインサイダー的見解を教えて欲しい、と文春オンライン編集氏に言われ、確かにこの観点でのドイツ自己分析は日本であまり見ないし、コロナ直前までドイツと日本を行ったり来たり二重生活していたからあっちの実感もわかるし、それなりに言及する意味もありそう。

……というのが今回記事の趣旨で、以下つらつら単なるリアル本音を書きます。数値にもとづく分析というより、生活上での実感・空気感の話です。

 なお、ことさらインテリぶるわけじゃないけど、本稿がいくぶん「教養層」っぽいバイアス含みでの情報解釈・見解であることはご承知おきください。その上での「率直本音開陳」であり、他のベクトルの率直本音も当然あるだろうという認識です。

 まず、ドイツでも今の日本と同様、移民や難民の受け入れ拡大期に「社会文化のアイデンティティが危機に!」とか声高になる“識者”の方々はけっこう居ます。彼ら彼女らはいっとき注目されるけど、状況の進行とともにその影響力や存在感は低下し、最終的には固定客相手の活動に落ち着きます。

 このタイプの人たちは常に脳内でファイティングポーズをとりながら何かに対する防衛戦を展開している雰囲気があります。無限防衛戦おじさん・おばさんというか。

 そしていざ移民・難民の受け入れ拡大を行うと、2015年のケルンの大晦日事件みたいなことはどうしても起きます。そこで「ほらやっぱり! 言わんこっちゃない!」という話になって、世界がザワつきます。

 で、そのへんまでは積極的かつ大々的に報道されるのですが、報道されない(退屈な)そのあとの展開も何気に重要です。確かに移民系犯罪は散発するけれど、全体的には地味に落ち着いていくからです。