「大阪のおばちゃん」的な行動様式の有効性
好奇心にもとづく無意識的な観察というのは、支援施設だけでなく市井での生活でもけっこうあります。ドイツ人は他の欧州諸国民に比べて不愛想だとよく言われますが、挨拶はしなくても隣人観察はしてるんですよねバッチリと。それこそゴミの分別の不備とか(笑)。
そしてルールと違う分別をしている人を見つけると、「ゴミはねぇ、こういうルールで捨てるの。こう、で、こう! わかった? わかったら返事なさい!」とか、めんどくさがらず面と向かってズビッと言ってのける率がかなり高いのです。
その姿勢は相手が難民だろうがビル・ゲイツだろうが誰だろうが変わりません。しかも、相手がドイツ語を話せるかどうかは完全に二の次だったり。そして実際、そのメンタリティもまた移民・難民の社会定着と安定化に寄与しているように思われます。
日本でいえば「大阪のおばちゃん」的な行動様式でしょうか。そんなこともあって私は大阪人の実質重視・遠慮レスなコミュニケーション能力に常々敬意を抱いているのですが、いずれにせよ、「その場で不満を感じつつ何も言わず、あとでネットで陰口を叩く」ような流儀では誰もハッピーになりません。ここにはいろいろ考えさせられる材料があります。
どうも、日本の「移民流入反対」マインドの中には「どう挨拶していいかよくわからない隣人」にはできるかぎり来てほしくない、という皮膚感覚的な消極性があるように見受けられ、もしそこをそれなりにクリアできれば、状況を変化させられるのかもしれないと思ったりします。
「嫌悪感や不安感を好奇心で上回れ! そして、現場であけすけにものを言おう!」という姿勢の継続こそ重要、という感じでしょうか。
……などと記事結末をまとめようとしながらニュースショー番組を見ていたら、おや? と気になる点が出てきました。
日本の報道は、「移民」と「難民」をけっこうごちゃ混ぜに扱っている……。
これ、日本人から見ると「まあ共通性もあるし、そんなに厳密にこだわりすぎなくてもいいんじゃない?」的に言われかねない部分ですが、存外、そうでもありません。
そのへんをベースに述べるべきことをいろいろ思いついたり思い出してしまったので、えー、後篇に続きます。そっちはあまり「実感」「空気感」ベースの話ではなくなりそうです。