文春オンライン

《トラベルミステリーの開祖》わずか4分間だけ成立する“伝説的な鉄道トリック”…だけじゃない! 松本清張作品に“秘められた魅力”に迫る

『清張鉄道1万3500キロ』より #2

2022/01/04

source : 文春文庫

genre : エンタメ, 読書,

note

鉄道と歴史が交錯する清張特有の手法

 鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。

 前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島の山が海に浮かび、その左の方には残の島がかすむ眺望のきれいなところである。

 この海岸を香椎潟といった。昔の「橿日の浦」である。太宰帥であった大伴旅人はここに遊んで、

「いざ児ども香椎の潟に白妙の袖さえぬれて朝菜摘みてむ」(万葉集巻六)と詠んだ

 万葉の世界を引き寄せるだけでない。香椎に行く乗換駅も歴史の舞台なのである。

 競輪場前というのは、博多の東の端にあたる箱崎にある。箱崎は蒙古襲来の古戦場で近くに多々良川が流れ、当時の防塁の址が一部のこっている。松原の間に博多湾が見える場所だ

 鉄道を使ったトリックに歴史を絡ませる手法は、清張ミステリーの特徴とも言える。

 福岡市東部の市街地外れと書かれた香椎は、今や東の副都心であり、万葉の時代を偲べた海岸線は沖合まで埋め立てられて人工島が出来た。タワーマンションが造られ、昔の海岸線の真上は都市高速道路が走る。西鉄宮地岳線は元々宮地嶽神社への参拝鉄道の性格もあったが、人口が少ない部分が廃線となり、貝塚線と名を改めた。乗換駅の競輪場前も貝塚と名前を変え、路面電車は地下鉄に替わった。いつの間にか『点と線』自体が昭和30年代の福岡市を伝える歴史的資料になったのである。

ADVERTISEMENT

究極の机上鉄

 安田が犯人であることは、早い時点でにおわされるのだが、鉄壁のアリバイを持っていた。犯行があった1月20日の夜は、某省の石田部長と同じ列車で上野から札幌に向かっていたというのである。石田部長は「ちょいちょい挨拶にきた」と証言する。証言は嘘なのだが、石田部長が北海道まで列車で行ったのは安田のアリバイ作りのための事実である。

 上野発19時15分の急行「十和田」は、常磐線経由で青森着9時9分。青森発9時50分、函館着14時20分の青函航路連絡船に乗る。この113キロが初乗り区間である。さらに、14時50分発急行「まりも」に乗って函館線を往き、札幌に20時34分に着いた。道内に入ってからの乗車距離286.3キロも大変だが、石田部長は24時間以上、列車と連絡船に乗りつづけているのである。

 札幌でもまだ降りなかった。安田と一緒では見え見え過ぎるということか。旭川の手前の滝川まで来て、根室線に入り、翌朝7時15分に釧路へ着いた。札幌―釧路間は391.9キロに達する。石田部長は2等に乗ったとは言え、2夜連続の座席泊は今では考えられない。清張作品で最もハードな乗り鉄をした1人であろう。名目は管内視察ということだが、飛行機はなかったのか。58年の時刻表によれば、東京(羽田)―札幌(千歳)間にはJALが飛んでいたが、道東へは丘珠空港から1日1便しか出ていない。『点と線』の設定は、現実離れはしていない。