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「日本はどれぐらいですか?」「日本語上手ですね」…日本で生活する“外国人”が“善意の言葉”をかけられて感じる“複雑な気持ち”の正体

『日本移民日記』より #1

2022/02/15
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 もう一度言いますが、「◯◯さんの心は日本人」と言う人が善意なのはもちろん知っていますし、「これは差別だから言うな」みたいな低いレベルの話がしたいわけじゃありません。日本語がうまい非母語話者に「心が日本人」と言う人の考えの中の「日本語」とは何を意味するのかを見てほしいのです。

「日本語能力」と「日本人らしさ」を分けて考えられない人

 ある言語をマスターするためには、その言語が生まれた地域と社会の伝統・歴史・文化まで勉強して理解しなきゃいけないとか、もう当たり前すぎる概念ですよね。しかし日本語の場合、それが行きすぎて「日本人としての心、魂、精神」が日本語を使いこなすための「必須条件」みたいに考えられてはいないでしょうか。まさに、外国語を学ぶ時に言われる「言語はツール」という考えが、「日本語」には適応されていないということです。日本語も言語であるかぎり、個人の能力と努力によっていくらでもマスターできるツールに過ぎません。しかし、「日本語能力」と「日本人らしさ」を分けて考えられない人の前に、後天的な学習でほぼ完璧に近い日本語を使う人が現れると、目の前の「怪異現象」を説明するために「日本人の心を持っているから(あるいは手に入れたから)そこまで日本語ができるはず」が出てくるのではないでしょうか。英語が達者な人が「あなたの心はイギリス人ですね」とか言われたという話は、今まで聞いたことがありません。

「いや、そちらこそ上手ですね」

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 「日本語能力」を「日本人らしさ」と分離して考えることは、もしかしたら不可能に近いかもしれません。いわゆるハーフ、在日、日本語学習者、そしてこの島に住んでいる移民の人々の「生々しい日本語」が、無視されたり歪曲されたりせずに日本社会の感覚の一部になれる日は、永遠に来ないかもしれません。テレビに出る外国出身の芸能人やコメンテーターを見るかぎり、やはり無理だと思ってしまうのです。完璧な日本語を使いこなしているけど、結局日本の大衆が聞きたい話を「白人の口」から聞かせる存在に過ぎない人とか、日本が望んでいる「外人役」を大げさに演じる人を画面で見るたび、ツールとしての「日本語」が独立する日は、私の人生では見れないだろうと落ち込んでしまいます。

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