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千早 茜
2017/12/17

宗教も言葉も身体も奪われ、強制的にムスリムにされた少年たちの物語

千早茜が『U(ウー)』(皆川博子 著)を読む

『U(ウー)』(皆川博子 著)

 高校生の頃、世界史が苦手だった。戦争も支配者も革命も年表の上では突然に現れる。けれど、違う国の出来事に目を奪われているうちにいつの間にか消えている。

 本書は十七世紀初頭のオスマン帝国と第一次世界大戦時のドイツ帝国のふたつの時間軸で描かれていく。皇帝(スルタン)の強制徴募(デウシルメ)によって荷車で運ばれていくルーマニアの少年たちは宗教も言葉も身体も奪われ、強制的にムスリムにされオスマン帝国のために働かされる。一方、ドイツ兵たちは捕虜を救出するためにUボートで敵地イギリスへと向かう。三百年の隔たりが徐々に繋がって、物語の吸引力に呑み込まれていく。海底を進むUボート内の閉塞感と恐怖、絢爛豪華なスルタンの宮廷での権力争いと陰謀、そして陸と海での戦争の悲惨さ。豊潤で緻密な文章をたどるうちに歴史のうねりが見えてくる。人も戦争も決して突然には現れないし、いつの間にか歴史の舞台から消えるわけでもない。そもそも歴史に舞台などというものはなく、過ぎた時の事象を記録しただけなのだと知る。その裏には、時代の流れに巻き込まれ、記されることなく死んでいった多くの者たちがいる。

 数奇な生を得た二人の主人公は手記を残そうとする。けれど、どちらも深いところにある自己の感情を記すことはできない。すべての物事には表層からは想像もつかないような、暗く、筆舌に尽くしがたい深部があるのだろう。それが海底に沈座するUボートの姿と重なる。広大な海は主人公二人が迷い込んだ岩塩鉱と時を経て繋がっている。あまりに見事な構成の物語で、人知を超えた力が働いているようにすら感じてしまい、読み終えた後はしばらく放心してしまった。

 宗教も言葉も、なにもかも奪われてしまった少年は、最後にあるものを取り戻す。そのささやかな救いに胸が苦しくなった。気が遠くなるほどの「時」を生きた気分になる。この本でしか味わえない世界だ。

みながわひろこ/1930年京城生まれ。73年「アルカディアの夏」で小説現代新人賞、86年『恋紅』で直木賞、98年『死の泉』で吉川英治文学賞、2012年『開かせていただき光栄です』で本格ミステリ大賞。著書多数。

ちはやあかね/1979年北海道生まれ。2009年『魚神』で泉鏡花文学賞。著書は『あとかた』『男ともだち』『ガーデン』など。

U

皆川 博子(著)

文藝春秋
2017年11月28日 発売

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