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川内 イオ
2017/12/15

「僕たちは『情熱大陸っぽい』ものを嫌っている」プロデューサーとナレーターが語った『情熱大陸』20周年 

長寿番組だからこそ、アイディア優先で挑戦していきたい

 今年、放送開始から20年を迎えた人物ドキュメンタリー番組『情熱大陸』。誰もが一度は存在を耳にしたことがあるであろう長寿番組は、どのように制作されているのだろうか。

 番組の第1回からナレーションを務める窪田等氏と、2010年10月からプロデューサーを務め、数々の賞を受賞してきた福岡元啓氏の対談で明かされたのは、あえてセオリーを破り、「情熱大陸らしさ」を壊そうと奮闘する意外な舞台裏だった。

放送前日に台本をもらうことがほとんど

 福岡 『情熱大陸』で唯一、1998年4月の初回から現在に至るまで制作に携わって頂いているのが窪田さんですよね。

 窪田 そうですね。もう20年になりますか。番組が始まったばかりの頃から『情熱大陸』は放送前日に台本をもらうことがほとんどで、なかなかそういう仕事はありませんよ。それだけギリギリまで取材をしているんですよね。

『情熱大陸』の5代目プロデューサー・福岡元啓氏 ©山元茂樹/文藝春秋

 福岡 僕は2010年10月にプロデューサーに就いたので、窪田さんとは7年、一緒にお仕事をさせて頂きました。僕からすると窪田さんは憧れの存在で、ついにあの声の人と一緒に仕事ができるんだと思いましたよ。

 窪田 ありがとうございます。福岡さんはおとなしそうな顔をしているし、淡々としていてやる気が表に見えないタイプなんですよね。あにはからんや、どんどん新しいことをやろうとする人で。最初にビックリしたのは、震災からちょうど半年後の2011年9月11日に放送した「石巻日日新聞」の、番組史上初の生中継。あれはほんとにイヤだった(笑)。

 福岡 懐かしいですね。

 窪田 アナウンサーと違って、僕らナレーターは生放送の仕事なんてほとんどありませんからね。僕も初めてだったから、最初は、ほんとに生でやるの? うそでしょ? という感じでした。ドキドキしたなあ。

 福岡 僕は『情熱大陸』の前に報道の仕事もしていたので、生放送に対するプレッシャーはありませんでした。「この回だったら絶対に生放送だな」と確信していたし、窪田さんだったら大丈夫であろうと(笑)。当日は大阪のスタジオで、番組の冒頭とラストに生放送の部分の原稿を読み上げて頂きましたね。

20年間、ナレーションを読んできた窪田等氏 ©山元茂樹/文藝春秋

最初の視聴者としての窪田等

 窪田 ラストに生のインタビューがあって、その後、ナレーションで締めでした。もともとはナレーションが終わってCMに渡すまでに2秒あればいいと思っていたんだけど、直前にテストをやった時に「2秒じゃ短すぎる」と思ったんですよね。そのラストシーンでは石巻の夜景が映されていて、この映像からたった2秒でCMじゃ短いかもしれないね、もう少し余韻を持たせてあげたいよねとディレクターに話しました。それからあれこれと相談して少し延ばすことになったんです。

 福岡 そういう議論は、どの回でもよくありますよね。普段、僕らは何度も繰り返し映像を見ながら構成をしているので、最初の視聴者として窪田さんはものすごく貴重な存在なんですよ。窪田さんからこの原稿の意味がわからないという指摘をもらって、その場で原稿を直すこともしょっちゅうですよね。

 窪田 最初の台本から一言一句変わらないというのは、この20年間、一度もなかったね。この言葉を取っちゃおうとか、ここは絵(映像)で見せようとか、現場でどんどん手直ししていくと、映像の印象もガラッと変わる。それが、『情熱大陸』のようなドキュメンタリーを作っていて面白いところなんですよ。ほかのスタッフが「これで原稿が落ち着いた」と思っているような時でも、ちょっと違うなと感じることがあったら率直に言うようにしています。「ちょっと持ち上げすぎじゃないの?」とか「この人に失礼じゃない?」とか。