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「自分のお葬式のことを考えると、今から恥ずかしい」俳優・小林聡美とエッセイスト・酒井順子が語る、現代日本人の“恥の感覚”

「自分のお葬式のことを考えると、今から恥ずかしい」俳優・小林聡美とエッセイスト・酒井順子が語る、現代日本人の“恥の感覚”

『無恥の恥』より#3

2022/07/11
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小林 マスクをしながら「えーっと、私のマスクどこだっけ」って探してたことですね(笑)。一日中マスクを裏返しにつけてたこともあります。

酒井 私も昨日、ジーンズのチャックを一日中全開にしていたことに、家に帰ってから気づきました(笑)。加齢で増える恥もありますね。

 私、世の中でいちばん他人の恥ずかしい姿を目撃している職業は、宅配便の配達員さんじゃないかと思うんです。人は皆、最も気の抜けた姿を配達員の方には晒している。どんな姿を見ても驚いたりせずに平然と対応しているのはエライなぁと思いますね。

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小林 たしかに(笑)。酒井さんはご自分の恥ずかしかった経験というと何を思い出しますか?

酒井 会社員時代の話なのですが、会議中はいつも眠くなって、安全ピンで自分の手を刺したり、コーヒーをがぶ飲みするなどしていたんですね。でも、ある時、コーヒーを口に含んだ瞬間に、寝ちゃったんですよ。その結果、口からバーッとマーライオンのようにコーヒーが……。でも、みんないい人だったので、見て見ぬふりをして淡々と会議を進めてくれました(笑)。

 

生きていることの恥ずかしさ

小林 そんな経験を積み重ね、年をとると開き直る術を覚えますよね。突き詰めれば、生きているってこと自体、恥ずかしいんですから。

酒井 同感です! 年を重ねるにつれ、やたらと恥ずかしがることはなくなって図々しくはなってきましたが、生きていることの恥ずかしさや、恥ずかしい過去の言動がどんどん浮上してきている気がしますね。自分が存在していること自体が恥ずかしい(笑)。

 書くことに関しても、若い頃は、「よくこんなこと書いて恥ずかしくないね」なんて言われても「別に~」と思っていましたが、大人になるにつれ、恥ずかしさが増してきました。自分の書いたものが、印刷されて、残ることを考えると、「果たして自分がこのようなものを書く意味は?」と思う。昔は何も考えてなかったですねぇ。

小林 大人になるにつれ、いろいろ配慮することを覚えて、自分の行為が人を傷つけることもあれば、イヤな思いにさせることもあるってわかってきますからね。でも、生きていること自体恥ずかしいんだけど、人間ってそういうものなんだ、っていう大らかさも同時に備わってくる気がします。

酒井 そうですね。人間が「恥」とは無縁でいられないという事実が最終的に行き着くところは「死」なのだと思います。身内の死に際していつも思うのは、人が死んでしまったら「見られる」ことしかできなくなってしまう、ということ。自分の身体も死に顔も皆から見られ、所持品も全部人に処分してもらうしかない。

 そう思うと、「委ねる」という姿勢が年をとるにつれ大切になっていくのかもしれないなって思います。誰にも迷惑をかけないで死ぬのは無理なんですよね。それにしても、自分のお葬式のことを考えると、今から恥ずかしいです。みんなで故人の話をしたりするんですよ……。最後に顔を見てやってください、なんて言われて。やだな……。

小林 家族や本当に親しい人ならまだしも、何年も会っていない人だったら微妙ですよね。亡くなった方のほうもギョッとするかも。「見ないで!」って(笑)。

酒井 コロナでお葬式の形態もだいぶシンプルになりましたが、いいことだと思います。だって、お通夜と告別式って多すぎません? 2デイズのイベントなんて(笑)。