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ステージ4の大腸がんを告知された直後に「人生初の交通事故」…70代ベストセラー医師を襲ったあまりに目まぐるしい1日

『ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み』 #1

2022/08/07
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 当然、ものを把持(はじ)すれば痛みも増強したため、ペットボトルのキャップを開けることにも苦労したり、何よりも運転時のハンドル操作に不安を感じるようになった。また、足底にも手のひら同様、幾筋ものひび割れが出現し、歩くたびに痛みを感じるようになっていた。何事もないかの如くに診療していたが、患者さんやご家族は不審に思っていただろう。

 手足症候群はその後も悪化し、4クール終了時点でギブアップだった。主治医に事情を話し、5クール目は休薬することにした。

 手足症候群がゼローダ服用の副作用であることは明確だった。1カ月の休薬で、あれほど苦しんだ副作用は改善してきたからだ。それに、食欲も回復し、嘔気も消失した。久しぶりに、食べる楽しみを味わえた。

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 そこで、5クール目を再開したが、主治医と話し合い、ゼローダは減薬することにした。再開後には、再び同様の副作用が出現してきた。だが、ゴールまでもう一息だったので、頑張ることにした。

 この間、24時間当番のある仕事にも通常通り携わり、月に1、2回ほどの「ケアタウン小平チームの在宅緩和ケア」に関する、各地からの講演の要請にも応えてきた。

 飲酒に関しては、ゼローダ開始前に、できれば避けた方が良いと言われたので、1クール終了時点で、きちんと断酒していることを伝えると、主治医は笑みを浮かべながら「ほどほどであれば大丈夫ですよ」と言った。それに気を良くして、会合時や、当番の無い日の夕食時の飲酒は再開したが、以前のような美味しさを味わうことはできなかった。それでも、ほろ酔いにはなれたので、飲酒は続けていた。

 ゼローダ再開で再出現してきた食欲低下および慢性的な嘔気と戦うために、1日1回は、牛丼店で肉および汁多め牛丼に生卵をかけ、さらに私の好みなのだが、店員の顰蹙を買うほどに刻み紅ショウガを山のようにまぶし、ぐじゃぐじゃにかき混ぜては、搔っ込むように食べた。その頃、食事は楽しむためのものではなく、戦いに勝つための武器だった。ちなみに、当時の私には、味が濃い目の「すき家」の牛丼が一押しだった。

予期せぬ結果

 副作用がひどくて1クールをスキップしたので、7クール終了時点で、術後6カ月が過ぎた。そして予定されていたCT検査が行われた。

 結果は2019年5月下旬、8クール目予定の外来受診時に知らされた。主治医は、CT画像を示しながら、申し訳なさそうに、「手術後の大腸には問題ないのですが、両側の肺に多発転移があります」と言った。確かに、左右の肺のそれぞれに、1センチ前後の影が複数あった。転移に間違いなかった。