「私の大腸がんはステージ4ということになりますね」と確かめるように言うと、主治医は「そういうことになります」と頷いた。――ミリオンセラー『病院で死ぬということ』などを代表作に持つ緩和ケア医の山崎章郎さん(74歳)。
主治医から大腸がんを宣告された「特別な日」のエピソードをご紹介。新刊『ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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壊れかけた日常
退院2週間後、術後初めての外来で、摘出標本の病理検査の結果を知った。切除したリンパ節には転移があり、ステージ3の大腸がんであることが判明した。「5年生存率は70%」との説明を受けた。
そして、ステージ3の標準治療である再発予防を目的とした経口抗がん剤ゼローダの服用を勧められた。ゼローダの服用によって、5年生存率は80%に上がるとのことであった。しかし、副作用をはじめとした抗がん剤の功罪は知っていたので、その提案に一瞬ためらった。
だが、手術してくれた医師に対する恩義や、多くの患者さんが体験している副作用を自らも体験すべきなのだ、との想いも湧き、試みることにした。
12月初めよりゼローダの服用が始まった。ゼローダは1日2回、朝夕食後の服用で、2週間服用し、1週間休薬で1クール、全部で8クール、6カ月の治療スケジュールが予定された。
1クール目は大きな副作用もなく経過した。日常生活は仕事も含め、順調であったが、2クール目から副作用が出現してきた。
先ずは食欲の低下である。それに軽度ではあったが慢性的な嘔気(おうき)が続くようになった。さらに、下痢が始まった。だが、それらは予測されていた副作用が、確実に起こってきたということだ。
食欲低下や嘔気に関して言えば、食べ物を無理やり口の中に放り込み、飲み込んでしまえば何とかなったので、頑張ることにした。下痢に関しては、便意を感じた時に、すぐにトイレに駆け込まないと危うい状態であったので、訪問診療前には、便意の有無によらず、トイレに行くことにした。万一に備え尿取りパッドも装着した。また、コンビニのトイレにも随分とお世話になった。
同じ頃、手足症候群も始まった。徐々に手足の皮膚の色が黒ずんできたのだ。皮膚も荒れ始めてきた。そして手のひらの筋の部分や、指関節にひび割れが始まった。処方されていた保湿クリームを丹念に塗布したが、焼け石に水。やがてひび割れからは出血も始まり、各指関節に絆創膏を貼り付けながら仕事を継続した。指先にはしびれも出現してきて、まさに教科書通りの副作用だった。