「逃げ出したくなかったかといったら、嘘になります」――。元日本テレビのアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活動する町亞聖さん(53)。その名刺には「元ヤングケアラー」と書いてある。

 町さんが18歳の時に母がくも膜下出血で倒れ、重度の障がい者となった。その後彼女は母の介護と家事を担い、さらには弟と妹を育てることに。当時の苦労を明かしてくれた。(全3回の1回目/2回目に続く)

フリーアナウンサーの町亞聖さん ©平松市聖/文藝春秋

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中学時代は父とぶつかり合い、高校時代は教師に反抗…意外な学生時代

――町さんはもともとどんな感じの学生だったんですか。

町亞聖さん(以下、町) 中学校の時は本当に荒れてましたね。父とすごくぶつかり合ってました。とりあえず父の言っていることが一切信じられない。「俺の言うこと聞いとけば間違いない」「誰が食わせてやっていると思ってんだ」とか言われて。本当に父が嫌いでした。

 父は勉強に厳しくて、成績が悪かったときに「そんな髪型しているから成績が悪いんだ」と髪を無理やり切られたこともあります。最近では「教育虐待」という言葉も使われていますけど、そうだったかもしれないです。だから中学時代は父から離れたい一心で過ごしてました。

 高校時代はどこにでもいるような高校生でした。埼玉には「るーぱん」というファミレスがあるんですけど、毎日学校帰りに寄って、恋人の話だったりくだらない話をしてという感じで。ただ学校でスカートを一番最初に短くしたのは私と友達でした。先生に注意されても「あんた担任じゃないし」みたいな言い方をしたり(笑)。

高校時代の町さん。バトン部に所属していた(写真=本人提供)

――アナウンサー時代の真面目なイメージとはずいぶん違いますね。

 テレビで見てくれた方にはお嬢様みたいに言われるんですけど、そういう感じではないですね(笑)。

18歳の時に母がくも膜下出血で倒れ、重度の障がい者に

――町さんが18歳の時にお母さんがくも膜下出血で倒れます。

 高校3年生の3学期の始業式の日でした。朝、母が「ちょっと頭が痛い」と言って、横になっていたんです。父は仕事に出ているし、私も弟も妹も学校があるのでそのまま家を出ました。夕方になっても具合は良くなっていなくて病院に連れて行くと、風邪ではないと言われ、翌日に専門の先生に見てもらったらくも膜下出血だとわかりました。

 ただ35年前なのですごい悠長で、具合が悪くなった翌々日に手術だったんです。くも膜下出血を放置すると、血液が他の血管に付着しようとして脳梗塞を起こします。結果的に母も脳梗塞を起こしていて、普通はそれで亡くなることが多いんです。後に専門医の方に「お母さんが助かったのは運がよかった」と言われました。