プロフィール
若野 康玄
わかの こうげん
1945年3月29日生まれ。大阪市出身。全日本格闘技振興会会長、一般社団法人競拳インターナショナル代表、若獅子会館館長。『唯誠 さらば矢野康生』(徳間書店)でデビュー。前著に『拳 関西右翼・ヤクザ関係秘史』(徳間書店)がある。
近畿大学で武道会・空手部で主将を務め4年生だった69年に右翼民族派団体「皇国学生同盟」を立ち上げる。71年、26歳の時30名を率いて三代目山口組北山組内森組若頭として渡世入り。任と民族派の集合を目指し、29歳で北山組・北山悟組長と一世一代の親子盃を結び直参となり矢野組組長に。四代目山口組・竹中正久組長暗殺事件の首謀者、悟道連合会・石川裕雄会長とは肝胆相照らす関係で、大阪府警などの資料には「石川裕雄にもっとも影響を与えたのは、矢野康生である」と書かれている。山一抗争中は「一和会きっての気鋭の若手組長」と報じられるが、北山組長引退とともに北山組は解散。四代目山口組益田組に移り、益生連合会会長となる。
中野会による宅見若頭射殺事件後の02年に沖縄で射殺された中野会・弘田憲二副会長とは一和会時代から兄弟分の関係で、葬儀に参列したことを理由に五代目山口組から絶縁。若頭射殺事件で絶縁され独立組織となった中野会に副会長として迎え入れられ、太竜会会長となり02年に引退する。
空手をはじめとする格闘技、民族派活動を通じ政財界に幅広い人脈を持つ。09年から人間教育と武道の融合を目的にジュニアを指導し、キックボクシングの大会を開催するなど、日本の格闘技人口拡大とレベルアップに貢献する。現在は、社会問題になっている半グレが集う地下格闘技団体を、メジャー団体に引き上げて更生を図る事業に着手。また社会からドロップアウトした青少年を、格闘技を通じて教育する事業実現に向けて行動を開始している。