山口組と一和会の暴力団抗争である山一抗争中に「一和会きっての気鋭の若手組長」と報じられ、山口組直参にもっとも近づいた男として知られる若野康玄氏。現在は格闘技を通じた教育事業や、ノンフィクション作品などの執筆活動を行っている。
ここでは、そんな若野氏が“スネに傷を持つ男達”の生きざまを描いたノンフィクション『大阪アンダーワールド』(徳間書店)より一部を抜粋。かつて大阪で悪名を轟かせ、現在は「炊き出し」で更生しているダルビッシュ翔氏の物語を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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毎日面会に訪れた母
高校時代のある日、同じグループで走っているメンバーが右翼団体のバイクを強奪してしまう。右翼が集団でバイクを取り戻しに来た。だが自分たちの側が盗んだとは知らないダルビッシュ翔たちは違う集団が襲撃してきたと思い、相手を捕まえてボコボコにしてしまったのである。
両者合計約100人ぐらいの敵も味方もわからない大乱闘は、当然のように大事件となった。自分たちのほうが先に盗んだと知ったのは逮捕後のことだった。
こうして翔は少年鑑別所へと送られることになる。
その鑑別所で翔は兄の名前の大きさを体験することになった。すでにプロ注目の選手の弟に対して、施設側が配慮して「個室」を用意したのだ。
「いや、集団部屋に入れてくれよ」
と言うが許されない。取り調べを受けながらとはいえ、1人の時間は長い。以降の鑑別所でも翔には常に「個室」が用意されることになった。
「なんやねん、お前今日けーへんのかい」母に対する感情に気づく
社会不在の翔に、母は毎日面会に来てくれた。会っても他愛もない話ばかり。そんな母に対してもエラそうにすることがカッコいいと思う年頃だ。
「感謝を伝えることもなく、わがままばかり言っていた」
1度だけいつもの訪れる時間に母が来ないことがあった。
「なんやねん、お前今日けーへんのかい」
そう思った時、母に対する感情に気がつく。面会は16時半までだが10分過ぎに教官が走ってきて、
「ごめん、ごめん、めっちゃバタバタしてた、お母ちゃん、来てくれたよ」
と告げられ安堵したのが正直な気持ちだった。もちろん、当時の翔は自分の気持ちを素直に親に伝えるには幼すぎたが……。