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院を出たらヤクザでもしますわ

 少年院を出る直前、

「今後は真面目にするんか?」

 と教官から問われた、施設を出る時の答えはいつも、

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「必ず真面目にするから帰らせてください」

 だ。ところが捕まるたびに親から「ウソをついた」と言われるのに嫌気がさしていた翔は、

「いや、帰ってヤクザでもしますわ」

 と大見得を切ったのである。ところがこの時、翔は17歳、すでに兄はプロ入り2年目を迎えていた。当時の成績を、

「12勝5敗で、今からグッといく、ちょうどその時やったから」

 と覚えているほど兄のことを考えていたのである。ヤクザになるわけにも、させるわけにもいかない。懸命になった親が探し当てたのがアメリカ南部にあるアリゾナ州のオーク・クリークにある施設だった。

 少年院を出た少年は保護観察を受けながら保護司と協力して地元で仕事しながら更生に向かうのが通常だ。ところが翔はたった1週間でアメリカに留学することになったのである。

ダルビッシュ翔氏(YouTube「ワルビッシュTV」より)

「一瞬だけ帰らして」両親に懇願し、帰国するが…

 アメリカに住む父の親族宅で入所までのわずかな時間を過ごした。施設といっても退学などいろいろな問題を抱えている子供たちが集まる学校である。いよいよ入学となって施設に行くと、門から建物まで車で10分もかかる山の中という閉ざされた場所だった。

 両親が英会話で生計を立てていたが、英語力はなんとか聞き取れる程度。日本人は1人だけいたが、寮生活ということで電子辞書を片手に生活を送ることになる。アリゾナで8カ月、西海岸のシアトルに移動して、東海岸のワシントン州スポケーンで半年、最後はシアトルに戻って3~4カ月を過ごす。

 異国での孤独な生活に翔は音を上げた。当時、未成年でパスポートは出入国手続きなどすべて親の承諾が必要だったが、翔は両親に、

「一瞬だけ帰らして」

 と懇願して、どうにか日本に帰国。

「もうアメリカには帰らん」

 と宣言して、2度と戻ることはなかった。

 アメリカ横断更生の旅は、まったく寄与しなかったということだ。

「しょうもない根性なし」と思う人もいるかもしれないが、「人の時間」は時計で示される「物理の時間」とは違う。早く大人になる人もいれば、ゆっくり大人になる人もいるのだ。ましてや更生施設での教育が「人の時間」を加速することはない。

 経歴だけ見れば「大人顔負け」のワルだが、この時点で、翔はまだ18歳である。