「母親は同じ育て方してるわけですよ。僕の兄貴に対しても、僕にも、弟にも。1人は野球ですごくなって、1人は思いっ切りグレちゃった。でも母親なりに、僕の気持ちはわからないけど、わかってあげたいって、たぶん、そういう気持ちで接してくれたんじゃないかと思うんですよね」
大人になった翔は、少し照れながら当時を振り返る。
少年院でリーダーになる
鑑別所では日記を書くが教官がチェックすることを知っていた翔は、早く出たい一心できれいごとで文字を埋めた。
「効果なかったですけどね」
と笑うように、京都の宇治少年院で1年8カ月を過ごすことになった。高校は無期停学だった翔に退学処分を下す。
少年院では最初の2カ月ほど新人教育で基礎を身につけさせられる。そこから中間期教育を経て、最後に出院準備という流れだ。
宇治少年院は関西でも運動が厳しいことで有名だった。教官が少年たちに腕立て50回を命じるが、「1」の号令で誰か1人でも下がり切らないと「1」から先に進まない。音を上げるまで「1」が続くのである。持久走はグラウンド100周、200周が当たり前。「1、2、3」でジャンプする「三拍子」と呼ばれる運動も、何百回、何千回という単位でやらされるのである。
特に大変なのはタバコはもちろん、シンナー、クスリをやっていた少年たちだ。当然のことながら勉強もスポーツもやり切った者は皆無である。その半端な不良少年たちに施設が与えるのは「やる」という選択肢のみ。必死になってついていくしかない。
「たぶん、初めての経験なんじゃないんですか、しんどくても達成したという経験は。一番頑張ったんじゃないかな、っていうような場所ですね」
コミュニティを作ったことが教官にばれ、誰に見送られることもなく社会復帰
中間教育の時、下の少年たちから慕われた翔はまとめ役になり、リーダーに選ばれることになった。ところがリーダー気質が思わぬトラブルに繋がってしまう。
坊主、私語厳禁の少年院にあって出院準備は社会復帰に向けて規則が緩やかになる。
ところが翔は「常識の範囲での会話」を超えて、コミュニティを作ってしまった。寝ている時にはティッシュにメッセージを書いて、隣の部屋に放り込んだりもした。大人の刑務所で言う「舎を組んだ」ということで、それが教官にバレることになった。
こうして退院約2カ月前に一斉調査が行われ、黒幕が翔であることが発覚。髪の毛を伸ばして体育館でお別れの挨拶をして拍手で送られるのが通常だ。しかし、翔は五厘刈りにされ、誰に見送られることもなく裏口からこっそりと社会に戻ったのである。
「振り返ったら、すごい青春ですね、マジで」