能登半島の人々を苦しめたのは、2024年の元日に発生した最大震度7の能登半島地震だけではない。復旧のメドすら立っていなかった9月21日、奥能登豪雨が発生して追い撃ちを掛けた。しかも、地震の被害が大きかった地区ほど、豪雨のダメージは深刻だった。
取材したばかりだった池田さんが被害に遭う
石川県珠洲市の真浦町はその典型だ。
奥能登豪雨で土石流が発生し、「70代の男性が流された」と報じられた。
豪雨発生時、この集落に帰還するなどして居住していた「70代の男性」は、ホテル海楽荘の社長・池田幸雄さん(当時70歳)と、もう1人だけだ。いずれも約2週間前に取材したばかりだった。
しかし、報道は輪島市で流された中学生についてのニュースが多数を占め、真浦町の状況はよく分からない。どうなっているのか--。豪雨から約1週間後、祈るような気持ちで奥能登へ向かった。
能登半島を北上すると、北端の日本海に出るには、能登山地を越えなければならない。この山地の中ほど辺りから、豪雨の爪痕が目立ち始めた。
赤い消防車両が行き交う。行方不明者の捜索も続く。
大量の土砂や大木が道路の脇に寄せられていて、山から水が流れ出している場所もあった。路面の泥が乾くと、車が白いほこりをもうもうとまき上げて視界をさえぎる。
生々しい被害の痕跡
ようやく輪島市の海岸に到達して、東に折れた。海岸を東西に走る国道249号だ。1kmほど先に八世乃洞門新トンネル(はせのどうもん、全長722m)があり、ここを抜けると珠洲市の市域に入るはずだった。能登半島地震で被災する前、22軒が住んでいた真浦町である。
ところが、国道249号は八世乃洞門新トンネルの少し手前で通行止めになっていた。
そこからトンネル入口までには、岩石や土砂が人の背丈以上に堆積していて、車が通行できる状況ではない。
周囲の山には、山頂付近から幾筋も土石流が発生した痕跡が生々しく見えた。半ばもぎ取られて残骸と化した建物もある。
住民の1人に声をかけられた。
「酷いもんでしょう。地震の時の方がまだよかったですよ。でも、トンネルの向こうはもっと酷い。真浦町の皆さんのためにも、ぜひあちらの現状を報じてください」
ただ、どうやって「トンネルの向こう」へ行けばいいのか。